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2010秋季総合特集4Top interview/村田機械社長・村田大介氏/技術力で国内生産堅持

2010年10月28日(Thu曜日) 午後2時27分

 村田機械の全社業績は、今年度に入り急ピッチで回復している。連結ベースで過去最高を記録した06年、07年の7、8割ぐらいの水準になっているという。急回復を牽引しているのは、繊維機械事業。一時期2000錘を割ったワインダーの月産量は、現在1万錘。それでも注文をこなせないため増産体制を敷き、来年初めから月産量を1万錘を超える水準に増やす計画だ。繊維機械事業のもう一つの柱にするために長年に渡って育成してきた「ボルテックス」紡機への需要も、順調に拡大している。気がかりなのは、ここへきての円高だ。

繊維機械事業が急回復

――業績は全社的にみるとどう推移していますか。

 最悪だった前年度に比べるとずいぶん良くなっています。前年度は赤字でしたが、上半期は黒字基調です。最盛期だった06年、07年度の7、8割ぐらいの水準まで回復しています。

――繊維機械事業については。

 そこが一番良い。中国、インド、最近ではアセアン諸国も含めいわゆる新興国からの受注が非常に増えています。

――ワインダーが絶好調だと聞いています。

 増産を計画しています。来年早々から、過去最高の量を作る体制になります。

――受注済みの分をこなすためにその体制が必要だと。

 そうです。ただ、リーマンショックの時もそうだったのですが、注文は、止まる時はパタッと止まります。もちろん生産設備も若干は増やしますが、現有の人数、現有の設備で増産する工夫を重ねています。

――増産の規模は。

 リーマンショックで、月産2000錘を割ったこともありました。それが現在1万錘になっています。今後、徐々に増やす計画です。他の工場で生産を分担したり、上海の自社工場からの部品の調達も増やそうと思っています。上海工場ではこれまでダブルツイスターを生産していました。今は、その生産がほとんどゼロになっていますが、スタッフは残してあるので、部品対応は可能です。

――ワインダーの分野で貴社は世界一位だと思いますが、課題は。

 欧州メーカーが、中国に工場を作ってそこでワインダーを生産しています。しかし、当社は中国にワインダーの工場を持っていくつもりはありません。あくまでも国内でがんばります。ですからコスト面が課題です。

――なぜ中国に工場を移す気がないのですか。

 ダブルツイスターが一つの例です。日本で作っていたのでは採算が合わなくなり、生産を止めるか中国に移すかの選択が必要になりました。何十年も作り続けてきましたし、世界中へのたくさんの納入実績もあります。止めてしまうのはもったいないということで、上海工場で作ることにしました。ところが、ダブルツイスターというのはシンプルな機械で、差別化がしにくい。新機能とかを打ち出しにくい。それなりに動けばいいいという市場の空気の中で、中国メーカー製のシェアが高まり、最終的に中国生産も断念しました。

 中国に行って、中国メーカーと同じようなものを作っても、それは延命策にしかならない。最終的にはなくなるでしょう。日本で、日本のコストでも買っていただける機械を作らないと勝負はできないと思います。技術漏えい防止のうえでも、その方が望ましい。ダブルツイスターでも、新しい機能を発明できれば残せたかもしれません。ワインダーは、ダブルツイスターよりも複雑です。モーター化、電気化が進み、作るのが難しくなっています。マネのできない新しい技術を開発し、最終組み立ては日本で行うという方針で臨みます。

――長年に渡って開発・販促を続けてきた「ボルテックス」紡績機への注文も増えているそうですね。

 確かに好調です。ただ1981年のデビュー(当時の機種名は「MJS」)以来30年ほどに渡る開発費などの経費を考えると、まだ黒字かどうかは分かりません。

――売れるようになるまでに苦心惨憺(さんたん)の歴史があったわけですが、普通の会社なら途中で見切りをつけていたかもしれませんね。

 ここまで来られたのは、技術者に思い入れがあったからです。

――社長として中止を指示することもできたわけでしょ。

 当社の場合は歴代、技術のことに関してはあまりでしゃばらない。これまでに、ジャカード、ドビーなどは止めました。技術者から見てもダメだという時は、止めます。

――上半期の「ボルテックス」の業績は。

 上半期の繊維機械事業売上高の8割以上がワインダーによるものです。「ボルテックス」は、金額的にはまだまだです。ただ、かつてに比べるとずいぶん増えてきました。

 現在、「ボルテックス」紡機のほとんどは、レーヨン系繊維の紡績に使われています。それに加えて、ポリエステルの紡績にも対応できるようにするために、ノズルの開発を進めています。将来的には、リング精紡機と同じような風合いの糸を紡績できるようにしたいですね。それができれば、爆発的に市場へ出て行くと思います。

――繊維機械事業をどのように位置づけていますか。

 他社との差別化が最もできている事業だと思っています。安定した事業です。他の事業については圧倒的に当社が強いというわけではありません。

――全社売上高に占める繊維機械事業のウエートは。

 20~30%です。利益貢献度も高い。ただしそれは、今年の前半までの話。前半の平均為替レートは1ドル=91円でした。これから厳しくなってきます。繊維機械の場合90%以上が輸出ですから。

――日本の繊維産業の力とは。

 「ボルテックス」は日本発だからこそ、売れるようになりました。日本のお客さんと一緒に、吸湿性、ピリング性などの向上に努めてきた結果として売れるようになってきたわけです。そういう意味で、先端市場だと思っています。

 繊維機械メーカー同士、紡績会社同士といったヨコの連携は世界中色々な場面でみることができますが、日本の場合はタテの連携もしやすいと感じています。減ったとはいえ、日本の紡績錘数は海外工場を含めるとちゃんとした固まりとして残っています。しかも、機械メーカーもまだがんばって残っている。タテの連携で、新しい機能、新しい繊維製品を開発できる可能性が日本にはあります。それが日本の力の一つだと思います。中国も、政府の音頭でそういう形を作ろうとするでしょうが、一朝一夕には進まないでしょう。

――日本の繊維産業の技術力についてはどう思いますか。

 人についている技術というのがあると思います。そういう方々がリタイアし、中国に行って教えています。それを吸収し、中国の技術力も育つ。だから、磐石なモノではないと思います。ただ、日本には組織力があります。小さな産地にも色々な技術が組織として継承されていると思います。

(むらた・だいすけ)

1987年村田機械入社。94年取締役、97年常務取締役、00年専務取締役、03年から社長。

私の古里自慢/革新的な伝統都市、京都

 村田さんは京都生まれの京都育ち。「観光客が毎年増えている地域は少ないと思うが、京都は毎年増えている」という。村田さんが自慢したいのは、増え続けている理由だ。月桂冠の大倉治彦社長は、小、中、高、そして大学の先輩。大学卒業後「親しくさせていただいている」という。その大倉社長にある時、「伝統とは、同じことを続けるということではない。常に革新し続けることの結果が、伝統だ」と教えられた。伝統の都、京都も同じ。街をあげて新しいことに取り組んできたからこそ、観光客が増え続けていると村田さんは自慢する。