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秋季総合特集【5】トップインタビュー・機械編 村田機械/取締役繊維機械事業部長/髙久 博史 氏/テーマは“生産性”の次へ/「ボルテックス」対応糸種多様化

2013年11月15日(Fri曜日)

 「自動ワインダーの“生産性”は限界に達しつつある。次の開発テーマが必要になる」――村田機械の髙久博史取締役は指摘する。今後はフレンドリーな機械としてユーザーインターフェースの領域での開発も重要性を増す。一方、渦流精紡機「ボルテックス」は生産糸種の拡充を進め、さらなる普及を目指す考えだ。

(たかく・ひろし) 1981年村田機械入社。2004年繊維機械事業部輸出部長兼村田機械上海(MOC)総経理、06年繊維機械事業部副事業部長兼営業部長、07年大阪支社長兼務、10年から取締役繊維機械事業部長兼大阪支社長。

――昨年とは市場環境が変化しました。

 現在の為替が1㌦=98~97円。まだ円安とは言えませんが昨年は80円でしたから、繊維機械の輸出にとって追い風になっているのは事実です。市況自体も回復しており、縮小していた需要が盛り返してきました。とくに中国市場が堅調ですし、トルコ、インド、パキスタン、インドネシアなども好調でした。このため今上期(2013年4~9月)は繊維機械事業の売上高が前年同期比30%以上の大幅な増加となりました。ただ、為替要因だけで販売が回復したわけではありません。原材料調達の見直しなどコストダウンも進めましたし、営業現場の頑張りも大きかった。例えば自動ワインダーは昨年から新型の「プロセスコーナーⅡQPRO」の販売を開始しましたが、生産性などの評価が高いにもかかわらず、従来機である「№21C」と比べて価格が高いことで当初は苦戦しました。しかし営業現場が価格を維持してきた結果、上半期の好業績につながりました。このため「№21C」の受注活動はすでに終え、生産も12月末で終了します。来年からは自動ワインダーの販売は「QPRO」に完全に置き換わります。

――「№21C」も歴史的名機でしたね。

 累計出荷台数は1万7000台(93万錘)に達します。新型機であるQPROは、すでに導入いただいたユーザーからは生産性、省エネルギー、そしてパッケージ品質で高い評価を得ていますので、今後はさらに結果が出てくるでしょう。

――新型渦流精紡機「ボルテックスⅢ870」に関しては。

 昨年は好調だったのですが今期に入ってから、ややペースダウンですね。米国の金融緩和縮小に対する懸念から新興国では通貨安など経済が不安定化していることで、ユーザーが設備投資に対して様子見になっています。また、主力用途であるレーヨン系紡績で需要が一巡しつつあることも要因でしょう。

――今後の開発や販売のポイントは。

 自動ワインダーに関しては、開発の重点が“生産性”から“品質・安定性・省エネルギー”に移ってきました。というのも現在の自動ワインダーの巻き取り速度は機械仕様上毎分2000㍍以上としていますが、綿花などマテリアルの物性上、高速化が限界に達しつつあるからです。詳細は話せませんが、次の開発テーマを定めて研究を進めています。一方、ボルテックスに関しては、オープンエンド(OE)精紡機に対抗できる生産性の向上に加えて、対応糸種の多様化がカギです。すでに綿100%やポリエステル・綿混、そしてポリエステル100%の精紡に対応していますから、これらをどれだけ普及させられるか。OE精紡機と差別化するためにノズル開発、多錘化、自動化も進めなければなりません。

 営業面では、現在は中国・インドとトルコが主力市場となっていますから、次はアセアン市場をどうやって攻略していくかも重要な課題です。現在、タイのバンコク、インドネシアのバンドンに現地法人があり、ベトナムのホーチミンにも現地事務所があります。ここを拠点にアセアン市場での拡販を進めます。アセアン全体で約7億人の人口があるわけですから、非常に可能性のある市場です。

――2015年にはミラノで「ITMA2015」が開催されます。

 ワインダー、ボルテックスともにユーザーフレンドリーな機械としてアピールしたい。例えばデータ管理システム「VOS」をネットワーク化し、自動ワインダーでは「ビジュアルマネージャー+」、ボルテックスでは「ボルテックスラボ」として、モニタリングなどのリモートメンテナンスを展開しています。そしてパーツの自動見積りシステムなども積極的に紹介していきます。

オリンピックの思い出/競技数の多さに驚く

 「前回の東京オリンピックの時は中学生。体育館でテレビ観戦したのを思い出す」という髙久さん。とくに100㍍走で金メダルに輝いた“弾丸”ボブ・ヘイズの速さに感動したとか。静岡県清水市出身でサッカー一筋だった髙久少年にとって「オリンピックを見て初めて世界にはこんなにたくさんの種類の競技があるということを知った」のも驚きだったそうだ。