繊維街道/私の道中記 辻洋装店社長  辻 庸介 氏 (4)

2016年07月14日(Thu曜日)

イタリアに学びパターンを追求

 社員とともに磨き上げてきた“誰もまねできないモノ作り”で新たな取引先を獲得し、バブル崩壊による会社の不振、創業者である母親の死、自身の入院という最悪の事態を切り抜けた。

 悪いことが三つも重なり大きなショックを受けましたが、常に社員たちが支えてくれました。ジュンアシダの役員が来社した際も、母親の入院先で不在にしていた私に代わり社員が応対。後日「いい会社ですね」と新規取引に結び付いたのです。

 また、修行先に勤めたばかりの長男が帰って来たことも心強かった。私も母親の入院で十分な修業を積めませんでしたが、長男にも同じ轍を踏ませてしまいました。ただ、会社をつなげていくことの大切さも実感しましたし、決して無理をしてはいけないことにも気付かされました。この業界は無理をしたからといって事態が好転するか分からない。来年業績が好調になるという保証はないのです。当社は当社のペースで進むしかないと思いました。

 その後も設備の導入や更新などを行いながら業容拡大に励んだが、肝心の加工賃は上がらず厳しい状況が続く。他社の縫製工場も苦戦を強いられるなど全体的に不況感が漂っていた。むしろ大量生産型のモノ作りこそ限界になりつつあった。

 バブル崩壊後の長引く不況の中、高付加価値化に活路を求め、当社に客先を紹介してほしいという依頼もたくさん舞い込みました。協力できる限り紹介しましたが、結果的には継続しない。時代が変わったからといって、高い技術力を要する洋服作りは簡単にはできないということです。技術力は機械設備だけでなく、職人技とも言える社員一人一人の縫製技術や職場全体の風土も大きく関わるため、とても短期間では構築できません。

 当社もさらなる技術力の向上が不可欠です。そこで1980年代半ばに初めて欧州を視察して以来、何度かイタリアの縫製工場を見学してきました。イタリアの縫製工場にはモデリスタ(=モデリスト。パターン作成から工業パターン作成など様々な工程に関与し、最終製品の品質を保証する立場にある人)が常駐しています。

 当時の日本にはモデリストという言葉すら聞きませんでしたが、当社もそうなりたいと素直に思いました。イタリアの縫製工場をモデルに、縫いやすい上に高級な良い服を作るにはどうすればいいか……、それはパターンにあると考え、95年ごろから研究を重ねました。

 そうした中、転機が訪れる。2003年にスタートした「中小繊維製造事業者自立事業」だ。辻は早速、祖業のオーダー服専門店でエントリーする。

(文中敬称略)