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特集 全国テキスタイル産地Ⅱ/糸へん女子 産地を救う!?/共通項はチャレンジを楽しむ力

2016年07月29日(Fri曜日) 午後12時43分

 繊維は斜陽産業――。厳然たる事実ではあるが、現場で前を向いて将来を切り開こうする人にとっては関係ない話。「男が救わないなら私たちが産地を救う!」という過激なコメントが飛び出たわけではないが、産地企業の現場に自らの意志で飛び込んだ“糸へん女子”たちが集まると会話は尽きない。3時間強にわたった産地トークセッションを要約してお届けする。

出席者(写真並び順)

大城戸織布 穐原 真奈 さん

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泉工業 山田 命音 さん

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備後撚糸 井本 みゆき さん

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桐生整染商事 川上 由綺 さん

〈衰退産業と呼ばないで(山田)/辛いと思ったことない(井本)〉

  ――いま現在、会社でどのような仕事をしているのか、教えてください。

 川上さん(以下、敬称略) まだ入社して2年目なので、基本的には直属の上司である阿部哲也専務のアシスタントを日々させてもらっています。その日に出た指示を受けて仕事をします。外注先のオパールプリントの工場に行ったり、機織りしたりといろいろです。その中で時間が空いたときにテキスタイルのデザインをします。当社は欧州メゾンなどとの直接商談を続けており、エージェントと一緒にラウンドするのですが、私も同行させてもらっています。

 井本さん(同) 10~20番手の合糸工程を担当しています。合糸とは単糸を双糸や三子糸にする作業のことです。入社して3年ですが、今は撚糸も担当しており、1年前からはアップツイスター機の責任者も任されています。

 穐原さん(同) 昨年までは現場重視で織機の調整、メンテナンスなどが主な仕事でしたが、今年に入ってからは担当顧客を持たせてもらえるようになりました。アパレルやブランドへの直販なので、お客さまと直接お話しができるようになったことはとてもうれしいことです。今の担当は5軒で、その方たちと電話やメールを介して話し込みながら、生地作りをしています。元々話すことが苦手だったのですが、少しずつ慣れてきましたし、こちらからのカスタム提案もできるようになってきました。生地製作の技術も徐々に向上してきたと実感しているところです。

 山田さん(同) 基本的には営業ですが、今はラメ糸ブームもあって忙しいので、たまに工場も手伝います。あとはSNSを使った会社の広報活動に最近力を入れていて、ラメ糸の講師依頼も増えてきました。

  ――日々仕事をしていて苦労すること、辛いことはありますか。

 川上 あまりないというのが正直な感想です。工場の職人さんや外注先の皆さんと関わる中で、お世辞ではなく、本当にいい産地、いい会社に就職できたと実感しています。辛いことがあってもすぐに忘れてしまうという性格も関係していると思いますが(笑)。

 ただ、短納期要求が厳しすぎるときには大変だな~と思うこともあります。でもそれも会社や外注先の先輩方がフォローしてくれるので問題ありません。

 山田 私も辛いと思うことはあまりありません。強いて言えば、繊維は斜陽産業、衰退産業だと言われるのが辛いというか、悲しいですね。あとは会社が田舎にあるため電車がよく止まり、帰宅できなかったりすることが辛いですね(笑)。

 社長からよく言われるのは、「客を怒らせることは許すが、外注先、仕入れ先を怒らせたら許さない」ということです。だからまだあまり外注先や仕入れ先さんと話をさせてもらえません。それが辛いと言えば辛いことですね(笑)。

 井本 辛いと思ったことは一日もありませんが、苦労はあります。例えば糸切れがひどいときや機械の調子が悪いときです。外注先がどんどん減っていて、和紙ブームも手伝って現場がパンク状態になることがあります。

 私は以前の職場で営業を経験しているので、営業の言い分も分かるし、現場の意見も分かるつもりですが、パンク状態になったときに現場の意見の違いや、営業と現場の見解の違いなどがあり、大変だなと感じることはありますね。

 穐原 入社3年目ですが、基本的にずっと辛いです。機織りの現場にはトラブルが付き物です。糸切れなどではなく、機械系のトラブルです。その原因が分からず納期を遅らせてしまうこともあります。それはやっぱり辛い。でも、師匠である大城戸専務の頑張る姿を見ていると、諦めるという選択肢は浮かびません。だから必死になってトラブルに対処しています。

〈糸は友達、ストレスは駄目(井本)/トラブルの先に喜びが(穐原)〉

  ――逆に、仕事をしていて楽しいこと、うれしい瞬間もあると思います。

 川上 やっぱり自分で企画したものが実際に売れたときが一番うれしいですね。これまでこの経験ができたのは2回で、2回とも海外でした。こうしたときに、このまま今の仕事を続けていきたいと感じます。今日のように、他の産地の方々と交流できることも楽しい瞬間です。

 他の業界のことは全く知らないので比較は出来ませんが、繊維業界は温かいと思います。産地内では仲間意識の強さに驚きます。ライバル関係にあってもケアし合うなど企業同士も人同士も本当に仲がいいのです。

 桐生には昔から、地場産センターが主催する「繊維大学」というカリキュラムがあります。週に1回授業があり、産地のさまざまなことや技術、物性などを教えてくれるのです。私も半年間受講し、そこで人とのつながりを築くことができました。温かい人たちとつながることはうれしいことです。

 井本 私は以前、仕事中に手の指を切ってしまったことがあります。2カ月休業させてもらったのですが、主人や家族からは危険だから辞めるべきだと勧められました。でも会社は早く返ってきてほしいと言ってくれました。それはうれしかったですね。幸い、指はつながったのですが、まだしびれは残っています。でもこのけがを経験したからこそ、今は安全への意識が高まり、それを会社全体に広げられるようになりました。

 山田 当社の社長と備後撚糸の社長さんは交遊があるのですが、備後撚糸の社長さんはいつも当社の社長に対して、「指を切ったのにまた戻ってきてくれた」と誇らしげに語っておられるようです。井本さん、よく戻ろうと思いましたね。

 井本 けがの前と同じ合糸機の現場に戻りましたからね。あの仕事をまたしたいと思ったからです。さすがに復帰した直後は怖さがありましたが、すぐに慣れました。今ではけがの前よりも仕事が楽しいし、充実しています。新しい撚糸の規格が来ると、ワクワクします。

 当社の社長は「糸と友達になってね」とよく言います。トラブルは全て糸が抱えるストレスが

原因であり、それに気付いてあげて、ストレスを緩和してあげるように、という意味です。だから、糸にストレスを与えずにうまく作り上げることが出来たときは大きな達成感があります。

 山田 糸と友達にというのはすごくいい話ですね。機屋さんも心して織らないといけませんね。

 穐原 井本さんの友達が来たー!と思って丁寧に織るようにします(笑)。(注:大城戸織布は備後撚糸の和紙糸を発注し納品を待っているところだった)

 井本 糸を出荷するときには皆で手を合わせて送り出します。

 川上 そういえば当社も必ず毎朝、神棚と社にお祈りしてから始業していますね。他の産地でもよくある習慣なのでしょうか。

 穐原 当社でも織機を朝に動かす前と、夜に止めるときに師匠はしていますね。

 山田 そういえば当社も!(一同笑)。

 穐原 先ほど申し上げたように、機織りの現場にはトラブルが付き物です。でもそれを直せたときはうれしいし、達成感がありますね。当社の織機は世の流れとは逆で、低速化をポイントにしています。織るのが難しい糸をあえて探してきて、低速でゆっくり織ります。織機も古いものばかりで機械系トラブルも多い。それを辛いで終わらせずに、直せたときの達成感まで持って行く。そこに喜びがあります。

 山田 私は営業なので、お客さまの問題解決ができたときに喜びを感じます。最近は某百貨店や大手コンバーターから頼られることも多く、それを解決できたときや、例えばラメ糸の正しい使い方などをアドバイスできた瞬間はやっぱりうれしいですね。

昔よりも今の話を(山田)/分業の疲弊に危機感(川上)

  ――皆さんお若く社歴も浅めなので恐縮するとは思いますが、今の繊維業界に対して物申したいことはありますか。

 山田 先ほども言いましたが、衰退産業なんだ……と感じさせられることがよくあります。業界の方と話をしていると、昔のガチャマン時代と比べて今は元気がない、といったことをよく聞きます。歴史を知り、学ぶことは大事だと思うのですが、もうその時代に戻ることはできないわけですから、単なるノスタルジーには意味がないと思います。私たちの世代は良かった時代のことを全く知らないわけで「昔は良かった」と言われてもモチベーションにはつながりません。逆に昔は良かったとばかり言われると悲しくなってきます。もう未来はないのかなと。だからやっぱり、単なるノスタルジーではなく前を向いた話をしていくべきだと思います。

 川上 確かに年代が上の方になるほどそういった話をよく聞きますね。私の上司である阿部専務はその世代と私たちの世代との中間に立ってくれているので、それは私にとってはありがたいことかもしれません。昔話の中にも今の話を織り交ぜてくれますから。

 穐原 大城戸専務は基本的に昔を相手にしていません(笑)。でも機屋に対する愛情はすごくあります。景気悪化などを理由に織機を廃棄して外注に頼ることを選択した同業者に対して、自分で織機を持つことの大切さを伝え、その結果、実際に提案を受け入れて織機を再び入れた機屋さんもあります。外注先は小規模なところが多く、高齢化も進んでいます。自分の代だけで終わるのなら商社機能に特化して生産を外注に頼ってもいいが、外注先が廃業したらどうするんだと。そういう話をことあるごとに周囲に熱く話しているのが大城戸専務です。

 数年先、数十年先を見据え、持続可能な機屋を目指しているのが大城戸専務の考えです。そのために今のうちから設備投資も積極的に進めています。自社の売り上げよりも、「日本に機屋を残したい」という思いが強い。衰退産業だ、斜陽産業だと嘆くのではなく、前を向いて自ら動いて努力するべきだと思います。それを実行している大城戸専務はすごい人だと思うし、この思いが全国の機屋に広がって、業界が元気になっていってほしいと思います。

 機屋は技術を持っています。また最近は私たちのように若い世代でも生地を作りたいという人が出てきています。これまでのように商社からの注文を待つだけの機屋ではなく、もっと機屋自身が腹をくくって自ら動き、周りに刺激を与え、産地を残そうと踏ん張ることが大事なんだと思います。

 川上 桐生産地でいま真剣に怖いなと感じるのは、経通しの業者さんがどんどん減っていることです。機屋としてはこの工程がなくなると本当に困ります。対策が必要であり、再生プロジェクト案も出ていますが、なかなか今日、明日の仕事に追われて進んでいません。

 桐生は元々、短納期対応に優れた産地です。でも分業の一部だけが欠けてもこの優れた機能が維持できなくなります。手を使ってやる仕事というのはすぐに習得できるものではありませんが、緊急時には産地にいる若い人たちで手分けしてでも分業を維持しないといけないし、私自身も技術をもっと早く覚えていきたい。

 びっくりしたのが、22¥文字(G0-AC85)¥文字(G3-1005)のナイロン分繊糸の蜘蛛の糸のような細い糸を、私の2倍はあるような太い指をした職人さんが普通に素早く結ぶのです。こうした技術が高齢化や経営難によって消えてしまうのは惜しいことですし、産地全体の存続を考えた場合、速やかに対策プロジェクトを実行に移すべきだと思います。他産地に依頼しているようでは短納期対応という強みも発揮できないわけですから。

 井本 外注先の激減が心配です。昔は400軒あったのが今は20軒にまで減ったとのこと。後継者難から今後もまだ減っていく見込みです。撚糸業は基本的に委託加工なので、注文を待つ姿勢が強い。しかしそこが減ってきたから当社は和紙糸の自販を始めました。これが絶対的な正解だとは言いませんが、各社が何らかの対策を取らないと、このままの状態で生き残ることは難しいのではと思います。

〈“素材屋”でありたい(川上)/機屋女子仲間増やしたい(穐原)〉

  ――将来の夢を語ってください。

 川上 まずはこの会社で仕事を続けていきたい。今の私の原点であり、この業界に興味を持たせてくれたのはフィンランドへの留学です。そこで出会った友人たちとは今でも連絡を取っており、大きな刺激を受けています。実は友人の一人がデザイナーになっていて、当社に生地の注文をくれています。それは本当にうれしいことです。

 デザインもしますが、ファッションだけに特化せず“素材屋”でありたいという思いがあります。常に生地に関わっていたいという意味です。明確なポジショニングはまだ見えませんが、産地や会社に必要とされる存在になりたいですね。産地の状況に対応しながら自分の居場所を見つけていけたらと考えています。

 あとはやっぱり、面白い織物を作りたい。アイデアは既に持っています。ファッションに限らず世界にはすごい生地がたくさんあります。海外や国内他産地の皆さんから刺激を受けながら、自分の生地を作り上げていきたいですね。

 井本 まだまだ会社の全てを分かったわけではないので、とりあえずは全ての撚糸機を使いこなすようになることが目標です。それができれば会社の戦力になるはずですし。

 TES(繊維製品品質管理士)やジーンズソムリエの資格取得にも挑戦したい。娘も「じゃあ私は英検にチャレンジしてみる」と言ってくれているので、一緒にがんばりたいと思っています。

 あとは営業にも興味があるのでいつかはしたい。今は技術を身に付けることが先ですが、いつかは日本中の面白い糸が集まると言われる「ジャパン・ヤーン・フェア」にも行ってみたいですね。

 穐原 女の子が機屋の織り現場に就職するケースはほとんどないと聞きます。私が大城戸織布に入ったときも物珍しがられました。女性にはできないと言われていた重たいものを持つなどという作業もなんとかできるようになってきました。筋トレの成果です(笑)。大城戸専務の出張中にも自分一人でできる作業が増えてきました。だから大城戸専務のご家族にも、「初めは全くできるとは思ってなかった。もはや真奈ちゃんは専務の片腕ではなく両腕やね」と褒めてもらえました。

 夢は機屋女子仲間を増やすことです。そのためにも自分の存在をもっと業界にアピールしないといけない。男にしかできないという思い込みを払拭し、織物を作るということは女子にもやれる楽しい仕事なんだということを世に広めたいですね。

 山田 営業としての夢は、泉工業を日本一のラメ糸メーカーにすることです。国内の機屋のシェアでは既に日本一だと思いますし、実現可能な気がしています。

 私は現場が本職ではなく営業が本職。現場の女子は外になかなか出られない。その子たちの存在を、SNSなどを使って外に発信し、つなげていくことも私の個人的な夢です。幸いにも全国の産地を回れる環境にあるので、今後はこの取り組みを加速していきたいですね。

  ――期待しています。本日はありがとうございました。

〈大城戸織布 穐原 真奈 さん(28歳)〉

 賃織り形態の小規模機業が集積する播州織産地で自販事業を確立させた先駆者的存在。賃織りから自販へと大きくかじを切ったのが現在の大城戸祥暢専務。同氏は学卒後に瀧定(現在のスタイレム)で10年を過ごし、家業に戻ってきたが、賃織りだけでは将来がないと考え、自分で糸を購入し、独自生地を開発し、自分で価格を決め、直販する商売の形を追求した。

 現在は12台の保有織機のうち7・5台を自販向けに使用している。常時取引するブランドは個人ブランドを中心に50軒前後に拡大、自販事業にも「安定感が出てきた」と言う。穐原さんも播州産地の機業の生まれだが、全く繊維とは関係ない会社に就職していた。たまたま友人と訪れた展示会で大城戸織布の生地に出会い、衝撃を受ける。その後大城戸専務に弟子入り志願、現在に至る。

〈桐生整染商事 川上 由綺 さん(24歳)〉

 ドビー搭載のレピア織機や整形機を自家で抱え、同時に産元業も生業とする。産地の得意技術であるオパールプリントに向けた下晒し生地が主力で、創業以来60年以上にわたって輸出事業を続けていることも特徴。海外展への出展ではなく、欧州の大手メゾン、米国や中国などのアパレル企業に、年に数回定期的な出張商談を実施している。

 川上さんは神奈川県川崎市出身で、美術系大学でテキスタイルを学んでいた際にフィンランドに留学する機会を得た。そこで「生地を作りたい」との夢を持ち、帰国後日本全国の産地を一人で巡る。

 そのときに出会ったのが今回同席する泉工業の山田命音さん。以来、さまざまな人、産地企業と出会い、「絶対に産地で働きたい」と決意する。紆余曲折を経て、最終的には桐生の著名テキスタイルデザイナー、畠山陽子氏との出会いをきっかけに同産地で働くことになった。

〈泉工業 山田 命音 さん(30歳)〉

 京都府城陽市はラメ糸生産の国内シェア80%を誇る一大産地。分業が基本の産地の中で、段階的に設備を導入して一貫生産体制を整え、

備蓄機能を有するのが泉工業だ。

 和装への販売がメインだったが、山田さんの軽快なフットワークによって近年は産地機業への販売が拡大。「小口ばかりなので……」と

自身は謙遜するが、ラメ糸が各産地で数多く取り扱われるようになったのは山田さんの頑張りによると言って差し支えない。

 山田さんは京都市の出身で大学は大阪教育大学。親はバネ工場を経営していたこともあり、普通に会社員になるという将来設計はなかっ

た。しかも繊維には全く興味がなかった。大学時代に仏像にはまり、仏師に憧れ、弟子入り志願するも断られた。それならばと京都の伝統

企業が集まる就職フェアに行き、そこで泉工業と出会い、現在に至る。

〈備後撚糸 井本 みゆき さん(33歳)〉

 広島県福山市に本社を構える備後撚糸は近年、自販に力を入れている。その核を担うのが和紙糸だ。

 「備和」というブランドを冠して自販拡大に取り組み、今では同事業が売り上げの約半分を占める。

 島根県出身の井本さんは13歳の娘を持つ主婦。子供が手を離れ、「母親として子供に誇れる仕事を探していた」ところ、たまたま自宅近

くに備後撚糸があり、ハローワークを介して正社員として雇ってもらった。「撚糸の撚の字も読めなかった」ほど業界のことは何も知らな

かったが、入社後はバリバリと働き学んだ。

 20代のころからいろいろな職に就いたが、「いつか打ち込める仕事がしたい」と考えていた。備後撚糸でそれを見つけた。3年目を迎えた

今は、アップツイスター部門の責任者を任されるなど会社の信頼も得ている。