秋利美記雄のインドシナ見聞録(39)/紅河でベトナム古代史に思いはせる

2017年06月19日(月曜日) 午前10時58分

 ベトナム・ハノイのノイバイ空港からハノイ市内に入るには、紅河(ホン川)を越えなければならない。空港でタクシーに乗ると、今では大抵、日本の援助でできたニャッタン橋を通って市内入りするが、2015年にこれができる以前には、ニャッタン橋よりも4㌔ほど西側に架かるタンロン橋を通るしかなかった。

 タンロン橋の架かる場所は紅河が少し狭まった地点で、1985年に橋が完成するまではこれよりも少しだけさらに西側にあった「チェムの渡し」という渡し船がハノイの人たちの重要な交通手段だったという。チェムというのはこの渡し船の市内側の発着点一帯の村の名前だが、ここには、ベトナム古代史の英雄リー・オンチョン(本名:リー・タン)を祭る鎮守がある。

 リー・オンチョンは秦の始皇帝の命を受け、はるばる万里の長城まで遠征して、匈奴を討ったベトナムの豪傑で、始皇帝は彼を中国に引き留めるために娘を与えて結婚させた。オンチョンは姫との間に2人の娘と4人の息子をもうけたが、ベトナムの安陽王を助けるために、妻子と共に故郷チェムに戻ってくる。再び中国に戻るよう何度も要請されたようだが、彼はそれを拒否して、生まれ故郷で余生を送ったといわれている。

 彼の死後、チェム村の人々が彼を祭るためにこの鎮守を建てた。鎮守は2千年の歴史を持ち、チェム村の人たちは、河と堤防の間に建つこの鎮守が村を洪水から守ってくれていると信じている。ちょうど稲刈りの終わるころの、毎年旧暦5月14、15、16日には3日間にわたって「チェムの祭り」が行われる。今年は6月8日から10日まで行われた。縁あって、個人的に幼なじみである歴史研究家に誘われてこの祭りを見に出掛けた。

 この祭りはユニークな行事で、祭りの3日間、いずれの日にも朝、紅河に船を出し、河の中央で水をくみ、それを祭壇に供え、その水でオンチョンを模した像を清めるのである。赤や青や緑やピンクの非常にビビッドな色使いの祭りの衣装が船上に集結して、陽光に照らされている光景はかなり印象的だった。

 紀元前数世紀の秦の始皇帝の時代からずっとこんな祭りを続けているベトナムという国の文化的背景は、見くびれたものではない。なにしろ日本のどんな祭りよりも歴史があるのだから。普段は空港への行き来の道中に橋の上から眺めるだけだった紅河で、祭りの船に揺られながらベトナムの古代史に思いをはせていた。

あきとし・みきお 繊維製品輸入販売会社カラコロモ〈東京〉代表、ミラン・コンサルタント〈ホーチミン〉副会長