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2017秋季総合特集(21)/超“個性”で生きる特殊繊維ならではの生き方

2017年10月24日(火曜日) 午後4時25分

 ニッチ分野で世界のトップを走る日本の繊維素材がある。いわゆる「グローバルニッチナンバーワン」と呼ばれる独自素材はいかにして、今の地位を築くことができたのか。クラレのビニロン、JNCの「ES繊維」から、超“個性”を持つ素材の生き方を探る。

〈JNC「ES繊維」/熱融着繊維で世界一/不織布一貫でも拡大〉

 アジアで需要増が続く紙おむつや生理用ナプキンなどの衛生材料。今や繊維業界での数少ない成長分野として合繊、紡績など大手企業も狙いを定める。その衛材で世界ナンバーワンの地位を築く繊維素材がある。チッソの事業会社であるJNC(東京都千代田区)の熱融着性複合繊維「ES繊維」だ。

 衛生材料で直接肌に触れる部分はトップシートと呼ばれる。そこに使われるのが、エアスルータイプのサーマルボンド不織布(エアスルー不織布)であり、その原料がオレフィン系、エステル系熱融着性複合繊維になる。JNCはそのパイオニアで、総称である「ES繊維」は知名度も高い。

 チッソがポリプロピレン繊維の生産を開始したのは1963年。74年に芯ポリプロピレン・鞘ポリエチレンから成るES繊維が誕生する。「当初は油吸着材用のサーマルボンド不織布向けにマーケティングを行うが、80年代に入り日本で紙おむつが普及し始める。そこにES繊維を使用したサーマルボンド不織布の持つ特徴が評価され、需要が拡大した」と鈴木正康繊維事業部長は言う。

 90年代に入り、海外生産にも踏み切る。94年に中国に広州ES繊維を設立、97年から生産を開始した。ちなみに東レが中国で合繊長繊維製造の東麗合成繊維〈南通〉を設立したのは95年、稼働は98年。特殊繊維とはいえ、日本企業による合繊の中国生産では最も早い。2000年に入るとさらに大きな動きを見せる。当時、米国ハーキュレス子会社であったファイバービジョンズ(FV)と提携し、折半出資による販売会社、ESファイバービジョンズ(ESFV)を設立(06年には国内でもESFVを設立)し、ES繊維はESFVが販売を担う体制を敷いた。

 エアスルー不織布にも手を広げる。00年代初頭から広州ES繊維で不織布生産を始めていたものの「主事業ではなかった」。本格化は10年に中国の智索無紡材料〈常熟〉の設立(稼働は13年)から。12年にはタイにJNCノンウーブンズ〈タイランド〉(稼働は16年)、さらに今年、日本でもエアスルー不織布を事業化した。これは衛材メーカーが“プレミアム”と呼ぶ高価格品が中国を中心にアジアで需要が急増したからだ。

 不織布の事業化はES繊維の販売先と競合する可能性もあるが「ES繊維の特徴をいかに不織布に生かせるか。逆に不織布の特徴を発現するにはどのようなES繊維が必要か。スピード感を持って開発するには不織布が必要」と判断した。

 現在、ES繊維は日本(2万8千トン)、中国の広州(1万1千トン)、芸愛絲維順〈蘇州〉(1万4千トン)、タイのESファイバーバイジョンズ〈タイランド〉(1万5千トン)に加え、ESファイバービジョンズの米国、デンマーク工場で生産する。総生産能力は年間約12万トンと他の追随を許さない。さらに芸愛絲維順〈蘇州〉は19年の倍増設も決定する。一方、エアスルー不織布は日本(3600トン)、広州(7500トン)、常熟(1万トン)、タイ(4800トン)の計2万5900トンの規模を持つ。

 ただ、ES繊維、エアスルー不織布の大半は衛材向け。それだけに一本足打法はスパンボンド不織布(SB)との競合も含めてリスクを伴うが、同社は今後も衛材に徹する構え。その上でES繊維をベースにしながら、他の不織布を含めて次世代の衛材に求められる開発を進めるという。

 10年に事業会社であるJNCになって以降、積極投資を続けてきた。それは「衛生材料はスピードが求められる」ため。その速さに追随しないと成長は見込めないからだ。「衛材の戦略はシンプル。タイミング良く投資を行い、いかに拡大するか」。衛材向けを手掛ける上では欠かせない視点と言える。これはSBにも相通じ、JNCの積極拡大策は東レのSBに勝るとも劣らない。

 衛材向けES繊維の技術開発やマーケティングを担っていた中心メンバーが、85年の日航機墜落事故で亡くなられている。彼らがいなければ、今のES繊維はなかったと言っても過言ではないことを、最後に付け加えておく。

〈クラレ ビニロン/ユーザーと共に用途開発/世界No.1の品質にこだわる〉

 1939年、京都帝国大学の桜田一郎博士が合成に成功したポリビニルアルコール繊維。それはナイロンに続いて世界で2番目に開発された合成繊維であり、日本にとっては国産合繊第1号であった。「ビニロン」の誕生である。その事業化で大きな役割を果たし、現在でもビニロン繊維の雄として確固たる地位を築いているのがクラレである。

 “国産合繊”という輝かしい来歴を持つビニロンだが、その実用化への道のりは平坦ではなかった。戦争のため工業化が遅れ、工業生産の開始は1950年まで待つことになる。その工業生産を担った1社がクラレである。だが、同時期に他の合繊メーカーが海外からの技術導入でナイロンの工業生産で成功を収める一方、ビニロンの成果ははかばかしくなかった。

 ビニロンが苦戦した理由は、その物性にある。合繊で唯一、親水性である吸湿性を持つ物性は綿と似た風合いを持つことから、当初は衣料用繊維として期待された。しかし、染色性の悪さから他素材との競争で後れを取る。結局、ビニロンはファッション素材としては大成しなかった。

 そうした中、クラレのビニロン事業も厳しい収益状況の時代が続く。それはナイロンで高収益を謳歌する他の合繊メーカーとは対照的な姿だった。だが、クラレはビニロンの事業化をやめなかった。当時の大原總一郎社長はじめ幹部たちには、ビニロン事業は“国産合繊を育てる”という国家プロジェクトだという意識が明確にあったのである。

 「ビニロン事業を続けるためには、新たな用途開発しかなった」とクラレ繊維カンパニーの松尾信次繊維資材事業部長は指摘する。活路を見いだしたのが資材用途だった。ここでビニロンの吸湿性、高強度、耐候性、耐薬品性といった物性が生きる。寒冷紗など農業資材、ロープ、テント・帆布などで採用を拡大していった。ゴムやセメント、プラスチックの補強材としても注目されることになる。

 「加工場などユーザー企業と一緒になってニーズに合った用途開発ができたことも大きかった」と松尾事業部長は指摘する。例えば帆布では平岡織染との取り組みが大きな役割を果たしたことが典型だろう。

 そして現在、ビニロンの主力用途がアスベスト代替としてのセメント補強材。こうした用途の開発も地道な営業活動の中から生まれた。「既に30年以上も前から欧州ではアスベストの危険性が議論されており、代替素材としてビニロンに引き合いが当時からあった」と振り返る。だが、日本の建材業界ではまだ問題になっていない。そこでクラレは欧州のユーザーから情報を収集し、さらに日本の建材メーカーの研究部門にアスベスト問題に関する情報を提供するなど接触を続けた。

 2000年代に入ると日本でもアスベストの健康被害が問題化する。やがてアスベストの使用は自主規制され、最終的に法規制で禁止となる。代替素材としてビニロンの需要が一気に拡大した。しかし、これは唐突に起こったことではない。長年にわたるユーザーとの取り組みの成果だった。

 ビニロンの用途開発は常にこうしたユーザーとの取り組みから生まれた。電池セパレーターなども同様。「ユーザーの声に耳を傾けることが全ての出発点。そこから新しい用途が生まれる。そして新しい商品群を訴求する。そのためにも市場ターゲッティングと素材の改良で付加価値を付けていかなければならない」と松尾事業部長は強調する。

 クラレはビニロンの新製造プロセス「VIP」の実用化に取り組む。従来設備よりも省スペースで生産効率の高まる新プロセスだ。現在、岡山工場にパイロットプラントがあるが、今後は中量産可能なプラントを導入し、2020年までには実用化にめどを付けたいとする。

 現在、ビニロンは中国メーカーも生産しているが「本家として絶対に負けるわけにはいかない。世界ナンバーワンの品質で『ビニロンならクラレ』と言ってもらえるユーザーとの取り組み、さらなる商品開発・用途開拓を進める」と話す。クラレにとって今後もビニロンは“国産合繊”を守るため日本の合繊メーカーとしての威信をかけた素材であり続ける。