明日へ これが我が社の生きる道 織布編(47)

2018年01月26日(金曜日)

ミタショー 時代に合わせて変化を

 「付加価値を追求した商品を早く提供する」――群馬県桐生市のミタショーは、顧客が持つイメージを体現するモノ作りで名をはせる織布メーカー。企画力や開発力には定評があるものの、将来を見据える三田章浩社長(58)は、「時代に合わせて取り組みを変えていかなければならない」と強調する。

 1932年に三田社長の祖父が織物業を始めた。その後、54年に三田章織物設立(61年に株式会社へ改組)、72年に現在の社名に改称した。当初から人絹織物(婦人服地)を主体に取り扱い、米国や欧州、中東市場などに提案していた。輸出が100%だった時代もあるという。

 企画力や開発力が認められたほか人材にも恵まれたことで輸出は順調に伸びるが、変動為替相場制への移行や中国をはじめとする海外メーカーの台頭で曲がり角を迎える。先代社長がこれから輸出は厳しくなると早い段階で判断し、約10年の年月をかけて国内販売へと切り替えていくことになる。

 当時、海外市場での日本製織物の評価は高く、三田社長は「作れば売れ、ぬるま湯に漬かっていた部分があった。国内向けは高い企画力が求められ、甘えも許されなかった。生産現場も経営者も意識改革が不可欠だった」と振り返る。顧客も一から開拓する必要があったが、大手企業などとの取引が徐々に増えていった。

 力を注いだのは、顧客が持っているイメージを具現化するための技術力の向上とQR。これらの取り組みによって企画力や開発力が養われていく。ハイカウントポリエステルをいち早く手掛けたのも同社だった。三田社長は「桐生産地のどの織布メーカーよりも試織の件数は多いと思う」と自負する。

 米国の美術館のストアで同社が作ったマフラーやブランケット(膝掛け)などが取り扱われるようにもなる。付加価値の高いモノ作りは継続して取り組んできたが、その立ち位置を変えることなく高付加価値化をさらに追求する。多種多様な素材を扱える器用さを生かして商材の開発を進める。

 国内市場は少子高齢化や節約志向などから厳しさが増している。事業を取り巻く環境が変わる中で、会社の取り組み方や生き方も変えていかなければならないとの認識を示しており、海外市場への再参入も常に念頭に置いているとする。時期が来れば開始できるように準備を整えている。

 事業の継承について三田社長は、「先代に『桐生産地は分業が進んでおり、一貫で取り組んでいる企業を除き、織布メーカーの規模は20~30人が適正』と言われた」とし、いたずらに事業拡大を求めるのではなく、「顧客ニーズを満たす体制を盤石にして次の代につないでいきたい」と語った。

社名:株式会社ミタショー

本社:群馬県桐生市相生町1-273-3

代表者:三田 章浩

電話番号:0277-54-1731

主要設備:津田駒工業製レピア織機18台、ドルニエ製レピア織機3台。115cm幅をメインに、90cmから150cmまで幅広く対応

従業員:19人