ニイハオ!/迪壹織物貿易〈上海〉の副総経理に就いた 五十嵐 義彦 氏/日本のモノ作り世界に

2018年03月09日(金曜日) 午前11時16分

 現地法人の出資比率の調整などで、内販拡大のお膳立てが整ったタイミングでのエース級の投入だ。40代半ばにして、生地のブランディングと欧米向け輸出で豊富な経験を持つ。日本繊維産業を代表する“サラブレッド”は、生き馬の目を抜く中国で「これまでの経験を生かし、スピード感を持って結果を出す」と飛躍を誓う。

 横浜の老舗繊維商社、五十嵐貿易社長の長男として生まれる。小さな頃から家業を継ぐことを意識し、大学では経済を専攻。英語を身に付けるため、2年間米国に留学した。

 1998年、五十嵐貿易の出資先だった帝人に就職する。まず担当したのが日本製生地の中東向け輸出だ。厳しい価格交渉などが求められ、「商売の原点といわれる中東向けで、貿易業務の仕事を一から学んだ」。

 2002年からは、分社化された帝人ファイバーで欧米顧客への直接販売や輸出業務に携わる。仏パリの服地見本市「プルミエール・ヴィジョン(PV)」の出展担当者となり、「トレンドを意識した素材開発から販促提案、ブース作り、出展の一連の仕事に5年間力を入れた」。

 思い出深い素材開発が、ポリトリメチレン・テレフタレート(PTT)繊維「ソロテックス」の高感性アウター素材「サイネックス」。ソロテックスは従来ボリュームゾーン向けが中心だったが、「サイネックスの開発後、ハイブランドを狙い、プラダなどを回った」。PV出展の成果もあり、欧米著名ブランドとの商売が始まる。

 09年に退社し、家業の五十嵐貿易に転じる。当時既に海外での売掛金が膨らみ、厳しい状況だった。11年6月に社長に就任し、復活を目指すも1年後に倒産。「社員、取引先に対し、申し訳ない気持ちでいっぱいだった」。謝罪のために回った全国の取引先では、「皆さん温かく、慰めてくれた」と振り返る。

 新天地に選んだのは、サイネックスの開発依頼先だった第一織物。入社後すぐに取り組んだ超高密度テキスタイル「ディクロス」のマーケティングでは、ソロテックスでの経験を生かしマーケティングのためのコンテンツ作りに精を出した。その後、同素材はセレクトブランドなどに採用され、圧倒的な存在感を示す。

 10年近く愛用するダウンベストがある。第一織物のナイロン使いの製品で「初めて見たとき、独特の手触りや風合いに強く引かれ、日本の素晴らしいモノ作りを海外に発信したいと思った」と話す。その初心を胸に、中国、そして中国から世界に向け、日本のモノ作りを広めていく挑戦が始まった。

(上海支局)

 いがらし・よしひこ 1998年成蹊大・経済卒、帝人入社。中近東への日本製生地の輸出を経験。2002年イタリア販売事務所の立ち上げ、欧米顧客への販売を担当。09年退社し、家業(五十嵐貿易)を継ぐも12年倒産。13年第一織物入社。14年執行役員・海外販売事業部長に就き、福井本社で輸出業務統括。18年1月、現地法人、迪壹織物貿易〈上海〉の副総経理。45歳。趣味はゴルフと水泳。