繊維街道 私の道中記/インテリックス 社長 木村 明人 氏(3)

2018年03月14日(水曜日)

縫製工場建設時に仕掛け

   カーテンのブランドメーカーが従来の原反販売から縫製まで手掛ける流れを追い風に、インテリックスは協力工場として急成長していく。

 インテリックス設立当初こそ、収入が少なく個人の蓄えを従業員の給与に充てざるを得ないこともありましたが、その後は面白いように仕事が入ってきました。それには住江織物のかつての上司が応援してくれたことも大きかった。

 実家を改装した縫製工場は連日夜遅くまで操業していましたが、手いっぱいでした。さらに住江織物以外のカーテンブランドメーカーからも発注話があったものの、手狭で増設が難しい状況でした。

 そんなとき、和歌山県岩出市の国道沿いを車で走っていると、道沿いの田んぼに「土地貸します」と書かれた看板が立っていました。貸主の農協へ連絡すると、「何者」とけんもほろろでした。和歌山県下でもまだ知名度がなく、話をするのに苦労しました。さらに地銀へ工場建設の融資相談をすると、父親の保証があれば貸すと言われましたが、父は依然として反対していたので途方に暮れました。

   打開へのキーパーソンが、住江織物の元上司だった。

 サラリーマン当時の東京支店長から役員に昇進していた元上司が、この問題を気にしてくれて相談すると、「金を出してやる」との言葉を頂きました。ただし「仕事を出して縫製加工費を払うからそこから10年間で返済しなさい。またうちの仕事を断ってまで他のメーカーの仕事はやらないこと」との条件付きでした。その条件を飲んで1996年に岩出第一工場を開設しました。

 実家を改装した工場の開設1年後の月産5千㍍と比べ、第一工場ができたことで約8倍の4万㍍まで月産能力が高まりました。

 その後も順調に受注が伸びて、2001年に岩度第二工場を開設しました。岩出第一工場の借入金も、住江織物の元上司との約束通り10年で完済できました。

   一方で、木村は岩出第一工場の建設時にある仕掛けを施していた。

 第一工場は国道に面していました。建設時は片側の道しか舗装されていませんでしたが、近い将来の整備を見込んでロードサイド型の店舗スペースを当初から設けていました。縫製工場開設後はブルーシートを掛けて荷物置き場にしていました。

 エンドユーザーへ直販したいとの思いはずっとありました。そして受託縫製だけでなく、新たな柱を作ること。02年にジャストカーテン事業部(小売部門)を設け、同年に1号店となる「ジャストカーテン和歌山岩出店」を開店しました。

   ジャストカーテンは、既存のカーテン業界に波紋を起こすことになる。

(文中敬称略)