KanFA 次代への継承(10)

2018年10月12日(金曜日)

サン・メンズウエア 社長 矢野 郁子 さん

「その先」は聞けずじまい

 故矢野昭氏が1974年に創業したカジュアル衣料製造卸、サン・メンズウエア(大阪市西区)。長女の郁子さんが2代目社長に就くことが決まったのは、昭氏が入院する病院でのことだった。郁子さん36歳の時である。

  ――入社までの経緯を。

 短大卒業後、証券会社に入り、店頭での営業を担当しました。バブル景気の時代です。たまたま担当した飛び込みのお客さんが大口で、私の預り金が全国でも10本の指に入る規模になったこともあります。

 ところが入社の2年後にバブルがはじけます。投資信託を勧めたお客さんからは苦情。横領が原因で会社を辞めた人もいました。お金の怖さを思い知りました。

  ――その証券会社を、2年半で退職されたのですね。

 1年近くアルバイトをしていたのですが、父に頼まれ、サン・メンズウエアの子会社の事務をすることになり、やがて営業も。

 その後サン・メンズウエアに移籍しましたが、そこでも総務と営業を兼務しました。年末調整の事務処理をしながら、売り出し品を売り込んだ時は、パニックになりそうでした。でも営業で人と接するのは楽しかった。かわいがっていただきました。ある中堅量販店の皆さんとは、毎週の商談日の夜は決まって割り勘での飲み会でした。

  ――2007年にお父さんである社長が、くも膜下出血で入院されます。

 現在の専務と常務、そして私の3人が父に呼ばれ、病院に行きました。病室で父は、私を社長にするから頼むと2人に言いました。

  ――社長になってほしいとの言葉は。

 ありません。父のことを知れば知るほど社長は無理だと思っていたのですが、やるしかない、会社を守らないといけないと思い、決断しました。

 当時、顧客であるGMSの成長に連動する形で業績が拡大しており、売上高は79億円に達しました。しかしそれがピークです。その後、SPAの台頭などによってGMSが低迷。当社の売り上げもじり貧になっていきます。

 「10年間はこのままで大丈夫。その先はこれから考える」と語っていた父は、私の社長就任後1年少しで亡くなってしまいました。「その先」の話は聞けずじまいです。

 業績低迷に歯止めをかけるために、新規顧客の開拓が必要でした。それを可能にするために、企画力をさらに高めることを重視しました。それまでやっていなかった展示会も開くようになりました。

 事業環境は今も厳しいのですが、洋服には人を笑顔にし、元気にする力があります。気持ちを高ぶらせることもできる。心を豊かにする商品の提案に今後も力を入れます。

継承していく人たちへ

 社長業の在り方を父親に教えてもらう機会を逸した矢野さん。「継承する気なら早い方がいい」との言葉に実感がこもる。「その気になって生活すれば、言われたことも、そうでない場合とは違って聞こえる。社長と一緒に行動することで、マインドも吸収できる」と語る。

(毎週金曜日に掲載)