繊維街道 私の道中記 森弥毛織 社長 森口 和信 氏②

2018年12月18日(火曜日)

得意先から薫陶受ける

 森口は1982年、米国留学から帰国して森弥毛織に入社する。

 入社後1年間は現場でさまざまな毛布の作り方を学び、その後は叔父の森口照男専務から営業や原料の仕入れについて学びました。当時の当社は織り毛布、タフト毛布、マイヤー毛布の各部門に分かれており、各毛布の設計や採算のとり方、営業ノウハウを教えてもらいました。その当時は電卓が普及し始めた頃でしたので、今では見られなくなった計算尺も使っていました。中学卒業後森弥毛織に入社し、私が幼少だった頃から知る3人が現場の課長になっておりましたので現場でのことについていろいろと助けられました。

 2年目からは営業を担当し、得意先を回った。

 多くの得意先の仕入れ担当者からさまざまな教えも叱責(しっせき)も受けましたが、中でも最も薫陶を受けた人は、今はないイトマンの寝装部隊の課長だった高橋征一郎氏です。毛布の品質と風合いに厳しい人で、展示会のサンプルにシワが一つでもあればこっぴどく怒られました。休日には自宅に招いてくれるなど公私にわたりよくお世話になりました。

 仕事に対する姿勢も学ぶべきことが数多くありました。高橋氏は私をエレベーター前まで見送る時、「エレベーターまでは、仕入れ先でも売り先でも必ずその人の後ろを歩く。なぜか分かるか。いくら威勢の良いことを言っていても、その後ろ姿、背中を見ると、元気があるかどうかが分かる」と言う。ある時は「展示会に初めて来てくれたお客さんが帰ったら即お礼の電話をする。すぐなのでその人はいないだろうが、言付けておく」などいろいろなことを教わりました。

 高橋氏は「夜の8時までは売りの時間。仕入れの商売は夜の8時以降」だったため、商談は大抵夜でした。当時、イトマンの毛布の主要販売先は地方問屋が全盛で、1柄ごとに数万枚単位で発注をくれました。商談後はよくイトマンビルの地下にある串カツ屋でごちそうになりました。

 当社にとって古い得意先の1社である京都西川の元会長の石橋武夫氏には社長としての在り方を教わりました。

 石橋氏には私の結婚式で仲人の労を取っていただきました。非常に厳しく怖い方でしたが、その後もかわいがってくださり第二の父と慕っていました。父・千代治とは経営の話をほとんどしたことがありません。父でもあり社長でもあるため、息子に対して言いにくいこともあったのでしょう。石橋氏はそんな父の意をくんで父親代わりに接してくれたのかもしれません。

 当時は既にマイヤー毛布は価格競争の時代に入っていましたが、量販店の台頭により売り場がどんどんと拡大していった良い時代です。同業各社の品質競争も盛んで、得意先も私のような若造を育ててくれる余裕があったのでしょう。(文中敬称略)