繊維街道 私の道中記 森弥毛織 社長 森口 和信 氏④

2018年12月20日(木曜日)

一貫生産武器に生き残る

 森弥毛織は、1981年に染色設備を導入する。

 チンマー社製のスクリーンプリント機を導入し、一貫生産体制を整備しました。

 一貫生産は、納期コントロールがしやすい点もありますが、素材、染色時の付加価値など総合的に開発できるのが強みです。薬剤メーカーと守秘義務を伴うような開発もスムーズにできるメリットがあります。

 反対に弱点は、年間を通した生産維持の難しさです。毛布は季節商品のため、必然、繁閑の差が出やすい。そのスペースを埋めるため、オールシーズン対応の綿毛布やタオルケットの商材を開発・生産する継続的な取り組みが必要です。

 森口は2001年に社長に就任。いとこである森口憲一専務らとともに、一貫生産工場の強みを生かし、社業は順調だった。しかし、06年前後を境に一変する。

 06年ごろから安価な中国製マイヤー毛布が国内へ大量に流入し、泉大津のマイヤー毛布は縮小を余儀なくされます。当時、量販店のみならず百貨店が多店化競争を繰り広げていた頃です。ナショナルチェーン店化によるCB(セントラルバイイング)仕入れで、GMS店頭には安価な中国製毛布が徐々に並ぶようになりました。さらに15年ごろからアクリル紡績糸からポリエステル長繊維に素材が変わることで低価格化が一段と進みました。そのため、国産マイヤー毛布の売価ゾーンが限定されるようになりました。

 日本毛布工業組合の組合員企業が生産した17年の毛布生産量は170万枚と、同組合が1955年に統計を取り始めて以来初めて200万枚を割った。残るマイヤー毛布メーカーは、テーブルメーカーを含めて7社になった。

 国産毛布の厳しさは、当社も例外ではありません。売り上げはピーク時の半分、従業員数も同様です。それでも存続できたのはやはり一貫生産体制を構築できていたことが大きなポイントだと思います。

 17年に唯一の染色加工企業が廃業し、産地でマイヤー毛布の染色設備を持つのは森弥毛織1社のみとなった。

 同業マイヤー毛布会社の染色部分は、当社が請け負う形になりました。廃業社からはスプレープリントの設備も譲り受け、7人の従業員も受け入れて染色工程の体制強化をしました。

 国産マイヤー毛布は多品種・少ロットに対応していっています。さらに吸湿発熱や消臭など多種多様の付加機能を施して消費者に支持されるマーケットを構築しています。

(文中敬称略)