KanFA 次代への継承(22)

2019年01月18日(金曜日)

オーパス 社長 参鍋 開人 氏

野球人生が終わると……

 参鍋開人氏(37)は、野球少年だった。大学でも、東京六大学野球リーグ戦にピッチャーとして出場した。しかし野球人生は、社会人になって2年で終わる。そこに、父親の兄である参鍋光男氏(74)から、同氏が創業したベビー・子供服製造卸、オーパス(大阪府箕面市)の後継者にならないかとの話が舞い込む。

  ――大卒後は。

 父は50歳の時に独立して店舗開発業を営んでいたのですが、それを継ぐ気はありませんでした。小学校からずっと野球をやってきて、大学(慶應義塾)では東京六大学野球リーグ戦にピッチャーとして出場しました。社会人になっても野球がしたいと思い、監督に紹介してもらって、生命保険会社に入社しました。

 午前中は仕事して、午後から野球というのが基本パターンでした。2年間やりましたが、ピッチャーとしては全くダメ。監督に呼ばれ、「マネージャーをやってくれ」と告げられます。もっと選手を続けたかったのですが、やむなく応じました。ただいろいろあってそれも2年でやめ、社業に専念することにします。

  ――オーパスに移るきっかけは。

 現会長である伯父に呼ばれ、両親と妻、そして私の4人で会いに行きました。1歳に満たない最初の子も一緒です。伯父には娘さんが3人いたのですが、私に「(後継者として)やってみないか」と言う。伯父の会社が何をやっているのかを知ったのはその時が初めてでした。

 ちょうど子供ができた時なので、ベビー服を扱っていると聞いて興味が湧きました。経営に携わるチャンスはそうない、生保にいるよりも成長できると思い、応じることを数日後に電話で伝えました。

 2011年に入社し、中国・南通にある編み立てから染色、縫製までの一貫合弁で3カ月間研修を受け、その後日本で営業を担当しました。

  ――社長になったのは。

 入社の2年後です。オーパスの20期が終わり、切りが良かったのと、会長が元気なうちに社長としての経験を積んだ方がいいということでした。

 能力も素養もないので、最初の1、2年は社長と呼ばれることに違和感がありました。従業員、協力工場、取引先、そして会長にいろいろ教えてもらいながら今日までやってきました。社長になるまで20億円前後で推移していた年商も、36億円まで増えました。「日本一のベビー服メーカー」だと皆さんに言ってもらえるようになるため、今後も頑張ります。

継承していく人たちへ

 思いもよらぬ形で事業を継承した参鍋さん。「創業者のパワー、経験には勝てない」と強調。「継承する会社の良い部分をきちっと残しつつ、自分なりの何かを足していけばいい。背伸びしなくていい」と語る。

(毎週金曜日に掲載)