繊維街道 私の道中記/東京ソワール 顧問 萩原 富雄 氏③

2019年01月30日(Wed曜日)

ブラックはコンビニ?

 カラーフォーマルは今、さまざまなブランドがモチベーション需要として提案し、競合が激化しています。ブラックはある面、コンビニエンス性がポイントです。どんなお客さまでも、あるときフォーマルウエアが必要になります。お客さまから求められるサイズは幅広く、価格のバリエーションも必要。テイストもさまざまです。それらのニーズに対応する使命がフォーマル売り場にはあります。

 「今日の午後1時から告別式があるのだが」という声にも在庫を持って対応。安心感が求められ、トレンドに走りすぎるとお客さまのニーズと離れてしまうこともあります。

 一方、カラーフォーマルはトレンドがあり、リスキー。ブラックのように作り込んで売り減らすことができない。似ているようで、ビジネスモデルは全く違います。

   萩原は入社2年目から企画に移る。1975年には浅丘ルリ子をイメージキャラクターに起用し、東京ファッションウィークへも出品した。

 浅丘ルリ子さんの起用は、会社の知名度向上、フォーマルウエアの認知向上に大きく貢献しました。当時の経営者の英断です。百貨店中心にスタートし、次に西友ストアへと量販店にも進出していましたが、専門店向けがありませんでした。東京ファッションウィーク出品は、専門店という三つ目のチャネル作りのためでした。

 地方の小さな百貨店的なお店を探しました。必要なときに不特定多数の人が買いに来るというビジネスは在庫も増えますから、結果的に街の専門店には合いませんでした。

   79年3月に設立10周年を記念して「全日本フォーマルレディコンテスト」を実施。テレビ局から持ち込まれた企画だった。9月には大阪と東京で「ショーでつづるパリモード200年」を開催。フランス大使館などの協力を得て、パリの衣装ミュージアムから持ってきた19世紀の衣装をショー形式で紹介した。萩原は当時、スポンサー集めに奔走した。日本経済は右肩上がり。こうしたイベント開催で、百貨店などからの見る目が変わったと言う。同社の売上高は100億円を突破する。

   82年に草野昌平会長が他界。体調不良で76年から妻の児島絹子に社長交代していた。

 昌平さんは体が弱かった。絹子さんが社長としてモノ作りから営業まで担い、兄の由次郎さんが管理部門を担当。そのため、社長交代に驚きはしましたが、会社の先行きに不安はありませんでした。夫というだけでなく、一緒に会社を築いてきた同志でもある昌平さんだけに、絹子さんのショックは大きかったと思います。それでも経営の先頭に立ち続けておられました。

(文中敬称略)