繊維街道 私の道中記/内外特殊染工会長・内外特殊エンジ社長 岩見 秀雄 氏①

2019年03月11日(Mon曜日)

下町のエジソン

 もしも染工場経営者が発明家だったら。京都市南区の染色加工場、内外特殊染工の会長で、同所にある機器開発・販売の内外特殊エンジ社長でもある岩見秀雄氏(80)はこれまでに、染色加工場向けを中心とするさまざまな機器を発明してきた。その功績が認められて昨年秋、旭日単光章を受章した。下町のエジソン、岩見氏が歩んできた繊維街道を紹介する。

   岩見の父は、旧鐘紡の山科工場長だった。同社を退職し、郡是製糸(現グンゼ)の出資援助を得て、内外特殊練染工場(現・内外特殊染工)を1936年に個人創業する。その2年後、岩見が誕生した。

 私は7人兄弟の三男です。小学生の頃から、学校が終わるとすぐ工場に行って、父の仕事を手伝っていました。染工場の仕事がなぜか好きだった。染めた生地を手で広げたりするのですが、手じゃなくて機械でやればいいのにと思ったりはしていましたが。

   両親は、当時はまだ珍しい私立の中高一貫校に長男と次男を入れた。三男の岩見も同一貫校の中学校には入ったが……。

 化学に興味を持ったのですが、進むはずだった私立高校には普通科と商業科しかない。化学科のある学校へ行きたいと思っていたある夜、会社の業績が芳しくなく、やりくりが大変だと両親が話しているのを聞いてしまいました。それで、昼は父親の会社を手伝い、夜は化学を学べる公立の定時制高校に通うことにしました。兄2人よりも先に会社に入り、仕事を覚えて兄たちに差をつけたいという気持ちもあったように思います。

 高校の授業は夕方の5時から9時までです。4年制なのですが、3年生になると全ての授業を受講しなくてもよくなる。時間が余るわけです。専攻は化学でしたが、余った時間で機械や電気の講義も受けました。勉強は好きでした。昼間の仕事で疲れているだろうからとサービスで授業を早めに終わる先生もいましたが、そんなときは校長に文句を言いに行きました。

   定時制高校の4年間の課程を終了した岩見に、京大の教授の助手にならないかと高校の先生が勧める。それに応じ、家業の手伝いを中断してフルタイムで助手業を2年間務めた。それが終わると高校の先生が、夜間の工業化学の先生をしてくれないかと誘う。乗ることにした。昼は家業を手伝い、夜は学校で教えるという生活が4年ほど続いた頃、家業に専念してほしいと父親が言い出した。

 当時の染色業界では、技術者は引っ張りだこでした。社長だった父は、技術者を引き抜かれて困っていた。そこで、技術の責任者になってほしいと私に言う。ただ、当時の工場のままでは将来性はないと感じていました。やるからには新しい工場を作らせてほしいと頼むと父は、5千万円を用意してくれました。

(文中敬称略)