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2019春季総合特集Ⅲ(13)/top interview ダイワボウレーヨン/人間の技術をデータ化/社長 福嶋 一成 氏/生分解性の強み打ち出す

2019年04月24日(Wed曜日) 午後2時14分

 「平成の30年間は日本で従来型の繊維産業が生き残ることが難しくなったという認識が広まった時代」とダイワボウレーヨンの福嶋一成社長は指摘する。同時に不織布や産業資材分野など新たな領域に向けた種まきと成果が具体化した時代でもあったと振り返る。その上で、来たる新時代では「人手不足が大きな課題となる。人間が持つ技術をいかにデータ化するかが重要になる」と強調する。

  ――平成の30年間とは日本の繊維産業にとってどのような時代だったのでしょうか。

 一言で言うなら、日本で従来型の繊維産業が生き残ることが難しくなったという認識が広まった時代だったと思います。例えばレーヨン産業を見ても、30年前は多くの化繊メーカーがレーヨンを生産・販売していましたが、いずれも収益性が極めて悪く、撤退が始まっていました。大和紡績(現ダイワボウホールディングス)のレーヨン事業が生き残りを賭けて製販一体の事業会社、ダイワボウレーヨンとして再スタートしたのも、ちょうどその頃です(ダイワボウレーヨンの設立は昭和63年)。当時はレーヨン短繊維といえば“スフわた”と呼ばれ、文字通り紡績向けの汎用品が中心です。ところが国内での紡績需要がどんどんと減少していきます。その一方で不織布向けが拡大しました。世界的には現在でも紡績用が圧倒的に主流ですが、日本に限って見れば、不織布の重要性が高まりました。

 そしてこれはレーヨンに限らず日本の化繊メーカー全てに言えることですが、得意とする商品へと特化していった30年間でした。同時に産業資材など新しい分野に向けた種まきが始まります。私自身を振り返っても、30年前はちょうど新規事業としてフィルタークロスを担当していました。やはり同世代の若手が土木資材、不織布、カートリッジフィルターに取り組んでいました。いずれも現在ではダイワボウの繊維事業で大きなウエートを占める商品になっています。そして衣料分野は縫製など川下戦略が加速します。ダイワボウもインドネシアや中国に縫製工場を設けるなど海外進出が本格化し、それが現在につながっています。

  ――マーケットも大きく変化しました。

 かつては百貨店アパレルが隆盛を極めましたが、その後はSPA(製造小売業)に主導権を奪われています。さらに最近ではEC(電子商取引)の勢いも増しています。既存の流通構造がスリム化され、新しいサプライチェーンに取って代わられた歴史だと言えるでしょう。

  ――来たる“令和”時代に向けた課題は何でしょうか。

 今後、特に製造業では人手不足の深刻化が予想されます。そのためIT技術の活用が不可欠になるでしょう。蓄積した技術を継承するために人間が持っている技術やノウハウを、映像や音声も含めてどのようにデータ化するかが重要。これはモノ作りの技術に限らず、安全・品質管理のデータも含めてです。

 もう一つは、やはりSDGs(持続的な開発目標)の観点です。特に欧州を中心に急速にプラスチックフリーの流れが出てきました。このためレーヨンの生分解性繊維としての価値が改めて認められるようになっています。例えば水洗トイレに流すことのできる水解紙などで需要が高まるでしょう。こうした動きに対応した素材開発が重要になります。このため、例えば交絡ではなく、水素結合による自己接着でシート化できるレーヨンなどの開発も進めています。

  ――2018年度(19年3月期)も終わりましたが、19年度への課題は。

 18年度は販売こそ堅調でしたが、溶解パルプやカセイソーダといった原料・副材料の高騰に苦しめられた年でした。お客さまには値上げを受け入れていただいたのですが、それ以上に原料高騰のペースが速かった。さらに19年に入って最大の懸念材料は中国の景気後退です。当社が中国に輸出するレーヨンも、その多くが最終製品として米国に輸出されていますが、米中貿易戦争への懸念から需要家の間でオーダーを控える動きが出てきました。一方、生分解性繊維としての需要は確実に拡大しています。ただ、国内市場だけでは限界がありますから、海外市場の開拓が重要になります。その切り口が機能レーヨンによる合繊代替需要の取り込みです。高吸水や撥水(はっすい)、難燃など機能を生かした用途開拓を進めます。また、染色による環境負荷が少ないことから原着レーヨンへの引き合いも増加していますので、この拡販にも努めます。国内向けも機能性によって不織布用途などで新規用途の開拓が重要になります。例えば食品包装用途などは期待が持てます。そのために食品接触時の安全性を証明する欧州の認証「ISEGA」も取得しました。こうした第三者による認証も積極的に取得・活用します。

〈平成の思い出/不安が大きかった中国駐在》

 「平成のど真ん中である2002年から中国に駐在したが、ダイワボウの中国事業もまだ混沌としていた時代だったので不安が非常に大きかったことを思い出す」と言う福嶋さん。当時の中国は、街も今ほど奇麗ではなかった。文化の違いに驚くことも多い。「宴席に招待されたら、メインディッシュがワニの手だったこともある」とか。そんな中で、自社縫製工場での第三者監査の体制整備などを進めた。それが現在につながっている。「中国が劇的に変化した時代をじかに見ることができたのは貴重な体験」と振り返る。

〔略歴〕

ふくしま・かずなり 1982年大和紡績(現ダイワボウホールディングス)入社。蘇州大和針織服装総経理や第一事業本部国際開発部長を経て2011年ダイワボウホールディングス戦略事業推進室長、13年ダイワボウレーヨン専務、16年大和紡績取締役兼ダイワボウレーヨン社長、17年6月からダイワボウホールディングス執行役員。