メーカー別 繊維ニュース

2019年春季総合特集Ⅰ(13)/top interview クラレトレーディング/エコ素材への要望強まる/社長 村井 研三 氏/ウエアラブル参入に意欲

2019年04月22日(Mon曜日) 午後3時17分

 クラレグループは2018年度(暦年)から20年度までの中期3カ年計画「プラウド2020」と取り組んでいる。クラレトレーディングは初年度の18年度、過去最高業績を更新した。「繊維は厳しかった」としているものの、この間、強化してきたベトナムを中心とする海外オペレーションによりスポーツ向けの製品ビジネスで過去最高を更新。19年度も引き続き拡大基調を維持できるとみている。平成はどんな時代だったか、令和に向けた新しい取り組みは。村井研三社長に聞いた。

  ――まもなく平成が終わろうとしています。

 平成の30年間で日本の繊維産業は国際競争にさらされ、中国勢が一気に台頭してきました。アパレル製品を中心に海外からの流入が増え、日本品は苦戦を強いられました。各社は生き残りを懸けて構造転換に取り組み、繊維全般としては縮小を続けた時代だったと言えます。

 もう一つ特徴的なのは、チャネルリーダーが大手アパレルから「ユニクロ」やザラといったSPAに移行したことです。

 当社は08年ごろまで事業の選択と集中を進めてきました。02年にクラレから移管された当時、衣料繊維事業に占めるファッション用途の比率は60%もありましたが、現在では20%に過ぎません

 ポリエステルの生産においても、汎用糸から高付加価値糸への転換を進め、生産量全体こそ縮小させましたが、一定の利益を残せる体制を構築しつつあります。

  ――18年度12月期は中期計画の初年度でした。

 最高益を更新できましたし、全体としては良かったと言えます。ただし、繊維の苦戦を好調な化学品・化成品でカバーした決算でしたから、19年度は繊維の収益向上を最重要の課題に位置付けています。

  ――19年度をどうみていますか。

 米中貿易摩擦の影響で1~3月期から化学品・化成品の方に厳しい局面が散見されます。凸凹はありますが、中国向けの商材に影響が出始めています。

 一方、繊維は今のところ計画通りです。この間、強化してきたスポーツが全体をけん引しており、資材向けの販売も順調です。

 ただし、原料価格の今後の推移、あるいは消費増税後の動向が不透明なため、油断はできません。

  ――スポーツで海外生産の拡充を進めてきました。

 当社は早くからベトナムに進出し、この3~4年でベトナムにスポーツ向けの生地から製品までを一貫生産する体制作りに取り組んできました。縫製工場に導入したプリント設備も活用し、製品OEM事業を年率5~10%で拡大してきました。

 日本の品質を維持しつつ海外でモノ作りができるというのが当社の存在意義だと考えています。現・中計の最終20年度まではベトナムの生産体制に磨きをかけていきます。

 当社の高付加価値糸や現地調達する糸を駆使した生地の開発にも力を入れ、アドバンテージを上げていきます。

 当社の縫製はベトナム70%、中国25%、日本国内5%となっています。ベトナムでは、既に縫製もプリントもスペースが不足気味になってきました。

 19年度、縫製では主力の提携工場に加えて周辺のサテライト工場を充実させていきます。プリントの増強も検討中です。

 中国内版を既にスタートさせていますが、ベトナムでの体制が整ったとき、ここを駆使して外・外のビジネスをいかに拡大していくかを考えていきたい。メガブランドへのアプローチも検討していきます。

  ――ブラックフォーマルや中東輸出についてはいかがですか。

 ブラックフォーマルでは海外での生地作りを考えていきます。アジアに進出した日系染色メーカーと連携していくことになるかも知れません。

 中東の方はようやく市況に底打ち感が出始めました。当社はかねて黒アバヤ地を販売しており、引き続き取り組んでいきます。

  ――年号が令和に変わり、何か新しい取り組みが加わってきますか。

 マーケットではエコ素材への要望が強まってきており、当社はリサイクルやPLA(ポリ乳酸)、バイオPET(ポリエチレンテレフタレート)で構える商品ラインを打ち出していきます。開発段階を終え、これらによる高付加価値糸のバリエーションを構築する作業を進めています。

 バイオPETでは、顧客の要望に応じスポット生産で対応していますが、ここに高付加価値糸を加えることができれば大きな武器になります。

 それと、スマートテキスタイルによるウエアラブルアイテムの販売を20年度をめどに立ち上げるつもりです。ベンチャー企業などと開発を進めており、ウエアにして着用するだけでなく、さまざまなアイテムの販売を目指しています。

〈平成の思い出/阪神大震災で高架の崩落に衝撃受ける》

 平成の30年間で印象に残っているのは、「多くの災害が発生したこと」という。その中で自身も見舞われた「1995年の阪神大震災は強烈だった」と語る。当時は阪急電鉄・伊丹駅のそばに住んでいて、震度7クラスの強烈な揺れに襲われた。当初は詳しい状況が分からなかったものの、その後、伊丹駅まで様子を見に行ったとき、「阪急電車の高架が崩落していた」のを目の当たりにする。震災時、クラレは西宮寮に災害救援物資をプールする基地を設けた。「あの時は歩いて水を取りに行った」と当時を振り返る。

〔略歴〕

むらい・けんぞう 1975年4月クラレ入社。2006年4月クラレトレーディング生活資材カンパニー長、09年4月生活資材事業部長、10年6月取締役、12年6月常務生活資材事業部長兼衣料・クラベラ事業部長、14年4月常務繊維事業統括兼生活資材事業部長、同年6月専務繊維事業統括兼生活資材事業部長、15年1月代表取締役社長。