繊維街道 私の道中記/東海染工 会長 八代 芳明 氏(1)

2019年08月05日(Mon曜日)

内気な少年を変えた夏

 東海染工の八代芳明会長(69)は、父、健三郎氏が全株式を買い取る形で独立させた同社に27歳の時に入社。32歳の若さで、赤字だった旧京都事業所の取締役事業所長に就任し、立て直しに奔走する。40歳で社長に就任すると、その翌年にバブル景気が崩壊した。一つ間違えば難破しかねない時代の中で、生き延びるための決断を重ねた八代氏の繊維街道を紹介する。

  八代の祖父、祐太郎は、福島紡績(シキボウの前身)の社長だった。2月16日に100歳で亡くなった八代の父、健三郎はその祐太郎の三男だ。健三郎は1941年に、当時福島紡績の子会社だった東海染工の全株式を買い取って独立させ、同社を発展させることにまい進した。八代はそんな父の背中を見て育った。

 小学生の頃、父は割と早く帰ってきて遊んでくれました。父と遊んでから夕食というのが、わが家の日常でした。

  八代の母は、瀧定(瀧定名古屋と瀧定大阪の前身)の創業家である瀧家から嫁いできた。質素を重んじる瀧家で育った母の意向で八代は、私立ではなく公立の小中高へ通ったが……。

 ものすごく内気な子供でした。自ら意見を言うようなタイプではありません。教室での存在感はほぼゼロです。小学校へは集団で登校するのですが、途中で抜け出してサボったことも何度かあります。

  そんな八代を大きく変える出来事が、高校2年生の夏にあった。恋である。

 好きな娘ができて、勇気を出して海に誘いました。来なくてもいいのに、私の友人もギターを持って付いてくる。夜になり、彼女を挟んで3人で堤防に座って波の音を聞いていると、友人が弾き語りを始めました。すると彼女の頭が、傾き始める。私ではなく、友人の肩の方へ……。

 それが悔しくて、あくる日に3千円の安ギターを買って練習し始めました。実は私の音楽の成績は、小学校からずっと「1」(最低ランク)でした。だから周りの人は皆、私の練習が三日坊主で終わると思っていました。

 ところが、そうはならない。その年の秋には、アメリカのフォークグループ、ピーター・ポール&マリーのコピーバンドを組んじゃいました。

 当時、ギターコードを記した譜面は市販されていましたが、パート別の譜面はなかった。レコードを擦り切れるまで聞きながら、それぞれのパートの音を譜面に起こしました。ピーター・ポール&マリー独特のギターの弾き方も、音を聞きながらまねました。で、年末の卒業生を送る会でデビュー。

 内向的で人前でしゃべることがなかった人間が、ギターを弾けなかったばかりに失恋した悔しさで、バンドを作り、舞台に立って、何百人という人の前で歌ったわけです。それで度胸が付きました。その頃から、皆の前で平気でしゃべれるようになりました。人生、何が転機になるか分かりません。よっぽど悔しかったのだと思います。

 (文中敬称略)