繊維街道 私の道中記/東海染工 会長 八代 芳明 氏(5)

2019年08月09日(Fri曜日)

「もういいやろ」

 自社事業所の再編を終えた八代は、同業他社の事業を譲受することに取り組む。

 リストラして生産規模を小さくしましたが、当時の当社の顧客だけではやがて工場のスペースを埋め切れなくなる。このままでいけば、さらに縮小せざるを得ないと考えていました。

 普通なら銀行などに紹介してもらって行くのでしょうが、今枝染工(浜松市)さんに直接アポを取って、会いに行きました。同社は、無借金で、資産も豊富な極めて健全な会社でした。事務所に入り、応接室に通されます。社長が出てこられて「珍しいですね八代さん。今日は何の御用ですか」とおっしゃる。「染色事業と設備、そして従業員の半分を当社が受け入れたいのですが」と切り出すのがとても怖かった。「出て行け」と追い出されかねない話だったのですが、「分かりました。1週間待ってもらえますか」と答えられ、1週間後に「それでお願いします」との返事がありました。

 今枝染工さんは、ユニフォーム素材の染色を得意としていました。当社の浜松事業所がユニフォーム素材の染色工場として認められるようになったのは、同社の染色事業を譲受したからです。それまでは婦人服素材が主力でした。

 八代はその後、旧サカレン(京都市)の合繊長繊維ニットの加工事業、大和染工(浜松市)の染色加工事業も譲受する。そして、2017年6月、社長職を代表取締役専務だった古澤秀充氏に委ね、自らは会長となった。その理由を問うと……。

 ニュアンスがうまく伝わらないと思いますがあえて言葉で言うと、「俺って、やることはやっただろ」ということです。20年間のリストラ、三つの会社からの事業譲受など、いろいろなことをやりました。「もういいやろ」と。なぜ「もういいやろ」ということになるのかは、たぶん理解できないと思います。

 事業譲受にしたって、そんな簡単な話ではありません。土地の売却にしても、スムーズにいったことはありません。土壇場を何度も経験して、生き延びてきました。もちろん責任放棄はしません。ただ、先頭を切ってやれというのはもうやめにしてほしいと。

 京都事業所長になった32歳の時からずっと、八代は生き延びるための孤独な決断を迫られてきた。京都事業所長時代には胃潰瘍になりながらも激痛に耐えて仕事をし、救急車で運ばれたことが2回あったと言う。その後、メニエールやうつ病と診断されたこともあったと明かす。これらのことは、社員も知らないはずだ。自身の精神的キャパシティーを超えかねないほどの強いストレスに耐えながら、生き延びるための方策を必死で考え、実行してきた八代の今の心中を、理解できると言うのはたぶん失礼だろう。ただ、一つ間違えれば難破しかねない業界環境の中で、経営者として必死に生きてきた男が絞り出した「もういいやろ」のニュアンスは、理解できたような気がする。

(この項おわり、文中敬称略)