脱サラ撚糸道 西撚(前)

2019年08月29日(Thu曜日)

一丁やってみるか!

 「自動車部品メーカーを脱サラし、撚糸業へ」。福井県の撚糸加工業、西撚(福井県永平寺町)の西川春朗代表は異例の経歴を持つ。創業から40年余り。「よく持った」と西川代表が言う紆余(うよ)曲折の撚糸道を振り返る。

 同社は現在、衣料用レース向け約25%を除くと、産業資材用など非衣料が主力。多品種小ロット短納期を強みとし、常時10種類の糸を手掛け最小ロットは60~70㌔から対応する。ただ、その生い立ちは変わっている。西川代表が自動車部品メーカー大手、デンソーで13年間技術保全を担当した後、創業したからだ。

 妻の実家が機業を営んでおり、福井に戻って手伝ってもらえないかと義父には言われていました。ただ、私も福井生まれですが、繊維に携わる気は全くありませんでした。

 それがある時、所属する事業部が愛知県安城市から、三重県大安町に移ることになりました。安城市に自宅を購入していましたが、転勤して家を手放すなら義父の話を考え直してみるかという気持ちになりました。同僚の中にも転勤を機に家業を継ぐことにした人もいましたので。しかも、1980年ごろは繊維産業もそれほど悪いわけでもありませんでしたから。

 それでも脱サラしてまで撚糸業を始める決断を下した理由は何なのか。

 当時は定年60歳。定年後のことを考えると独立してみるのも面白いと思ったからです。「一丁やってみるか」ぐらいの感覚です。事業化調査や採算なども考えず「何とかなるだろう」ぐらいの気持ちでした。義父の機業は義理の弟が引き継いでおり、自社の織布用にイタリー撚糸機を持っていました。その機業への供給がメインですから、深く考えていませんでした。

 まずはイタリー撚糸機を増強し、8台体制で1981年に創業する。しかし、その後事態は急変する。

 実際に撚糸業を始めると、受注量はどんどん落ちていきました。弟の機業も業績が悪化します。そんな時、幸運だったのが石川県小松市の糸商を紹介してもらったことでした。「どうすればよいか分からない」と、そこの社長に電話をすると、翌日当社にやってきてくれました。そして「私の言う通りにするか、それともこのままの状態で続けるか、どちらか判断しなさい」と言われました。その社長が言ったのが、衣料用から非衣料用への転換でした。