明日へ これが我が社の生きる道 染色加工編(34)

2019年09月06日(Fri曜日)

飯田繊工 インナー以外が40%に

 叔父が経営する染色工場で技術を身に付けた飯田常次郎氏が1903年、大阪市北区の天神橋筋にタオル晒しの小さな工場を立ち上げる。飯田繊工の歴史はここから始まった。

 この工場が手狭になり、20年に現在の本社所在地である大阪市東淀川区に新工場を設けた。その後、独自の編み地精練漂白法を開発し「特許晒」としてヒットさせたり、60年代の合繊ブームに対応して新工場を設けたりと、時代の変化に対応しつつ業容を拡大する。

 75年に3代目社長に就任した現会長の飯田常俊氏は、73年の第1次オイルショックの影響で需要低迷と染料・薬剤値上げのダブルパンチを受ける中、「量から質への転換」を進める。染色工程の自動化にもいち早く取り組んだ。

 時代の変化に対応しつつ同社は、インナー用途の綿製丸編み地の染色加工場としての存在感を高めていった。ところが2010年代に入り、染料・薬剤の値上げが激しくなる。このため、染色加工料金の値上げを進めると同時に、アウター、医療、手袋などインナー用途以外の生地の染色依頼獲得にも力を入れた。

 昨年12月に7代目社長に就任した上田純氏(54)によると現在では、同社売上高の40%が、インナー以外の分野向けになっている。これに伴い、染める生地も多様化した。綿100%の構成比は50%に低下し、混紡・交編生地が増えた。丸編み地に加え、経編み地の染色加工も意識的に増やしている。

 かつての同社の特徴は、特定の生地を、工場の自動化によって大量に加工することだった。しかし、さまざまな生地をさまざまな表情に加工することを売りにしている今は、人的資源の有効活用を重視している。加工後の検査についても、センサーも活用してはいるが、取扱品が多種多様なため、人間の目の方が精度が高いと言う。多種多様な生機を付加価値の高い生地に仕上げているが、必ずしも小ロットではない。150㌧という月産能力を生かし、量産にも対応できるのが同社の魅力だ。

 営業企画課を昨春設け、生地や縫製品の自販も強化し始めた。既に、ジャケット用の編み地販売で実績が出ている。縫製品の生産受託のノウハウも構築するために、自社ユニフォームとして使用するジャケットをデザインし、完成させた。

社名:飯田繊工株式会社

本社:大阪市東淀川区菅原2-2-104

代表者:飯田 常俊、上田 純

主要設備:高圧液流染色機(横型5台、縦型51台)、常圧液流染色機(35台)

月産能力:150㌧

従業員:95人

(毎週金曜日に掲載)