繊維街道 私の道中記/藤高 社長 藤髙 豊文 氏(1)

2019年09月09日(Mon曜日)

「お前はタオルをやりなさい」

 藤高(愛媛県今治市)は、今年4月に創立100周年を迎えた。今治タオル産地に現存するタオル製造業では最古参となる。100年間というタームは、タオル業界は言うに及ばず、社会にも大きな変化をもたらした。同社の歴史とともに、5代目社長、藤髙豊文氏が自ら歩んできた繊維街道を振り返る。

 家業としての藤高に触れた原体験は、「お前はタオルをやりなさい」と言う祖父の言葉でした。小学生のとき、祖父の居宅となっていた市内の「湊」にある別邸に遊びに行ったときでした。

 祖父とは創業者の豊作のこと。藤高を興しただけでなく、同地の産業の歴史を見れば、必ず名前が出てくる人物だ。今年4月に同社が刊行した『藤高タオル百年史』によると、豊作は初孫の豊文を「掌中の珠」のように扱い、その帝王学を伝えていった。

 小学校の高学年くらいから家庭教師が付き、松山市の愛光学園中等部へ入学しました。同校は県外からも優秀な生徒が集り、東大・京大などの国立大学や医学部への進学率の高さで有名でした。

 中高一貫のミッションスクールで、入学と同時に寮生活が始まりました。下校しても、食事と睡眠時間以外は、ほとんどが寮監の監視の下で勉強漬け。2人部屋で、プライバシーなどなく「兵営」に等しい物でした。

 入学して1年間は辛抱したが、その後は「たまらなくなって」寮から下宿生活に切り替え、念願の読書ざんまいの日々を過ごす。勉強は以前ほどしなくなったが、成績はあまり下がらなかった。

 在学中、下宿先を何カ所か変わりました。住み込むとその家の内情が見え「世間勉強」もできました。道後温泉の近くの下宿先では、あの近辺は家に風呂がないのが普通で、温泉に行くのが当たり前でした。そこは毎食、ハムとチーズしか出さない下宿でしたが、たまに豪勢な食事を作っているなと思ったら、その家の息子の帰郷の日で、私はいつも通りの食事を別室で出され、がっかりしたことなどを思い出します。

 「青春らしい青春はなかった」中学、高校時代も終盤を迎え、大学受験を迎える。豊文は、「京都大学に進学し、歴史学者になろう」と青写真を描いていた。進路指導でも京大への進学は、「可能」とされていた。だが、時代が許さなかった。

 私の大学受験の年が1969年。学生運動が激しくなったことで、東京大学が入学試験を中止した年です。東大志望者がやむなく京大へ、京大志望者が阪大へという雪崩現象が起こりました。

 結局、京大は諦め、神戸大学の経営学部と早稲田大学政経学部を受験して、いずれも合格しました。

 東京への憧れもありましたが、親族の強い勧めもあり、神戸大学へ進みました。

(文中敬称略)