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繊維街道 私の道中記/モリリン 取締役相談役 森 克彦 氏(4)/総論賛成各論反対の検品工場

2019年11月28日(Thu曜日) 午前11時37分

  1999年に社長に就任した森は、商談の仕方、企画の組み立て方の改革と並行して、物流の仕組みにもメスを入れた。

 当社は、愛知県一宮市と、大阪、茨城に自社物流センターを持っていました。自前の物流センターを持ったという点では、相当早かったと思います。しかし、世の中が進化する中で全く変化していなかった。それぞれの物流センターの事務部門に、女性社員がびっくりするぐらいたくさんいました。営業マン1人に対してセンターの事務員1人の体制で、「どの品番を何枚出してくれ」とやり取りしていたからです。

 かつてはそれが効率のいい方法だったかもしれませんが、電子発注も普及している今の時代にそれはないだろうと。で、専門家にお願いしてアドバイザーになってもらい、物流センターの改革に着手。さらにモリリン全体の物流効率化を推進しました。

  それが始まったのとほぼ同じ時期、大手専門店チェーン(S社)から、ある要請があった。S社との取引が増え始めていた時期だった。

 仕入れ先に対するS社の方針説明会で同社社長が話されたのは、中国の工場でのコストダウンは限界に近づいているが、物流には合理化の余地がある点に着目しての提案でした。それまでは中国生産品の検品、値札付、店舗別アソートを日本の物流センターで行っていました。「作業を、中国で行えば大幅なコスト削減になるはず。節約できた経費の半分は商品の値下げによってお客さまに還元し、残る半分はベンダーさんと折半しましょう」との高邁(こうまい)な理論でした。

 当社は自社の検品センターを設立する構想を持っていたので、即座にやりますと回答しました。当時、中国にも日系の検品業者ができ始めていました。それをモリリンが自分でやるということについて実は社内では、総論賛成、各論反対でした。お客さまの検品に対する要求は大変厳しい。それを、未経験者を中国で集めてやるのかと。また、自社でそれを持てば、仕事が減った時に赤字になってしまう。そのツケは結果として営業に回って来るのではないかと。確かに、当社の国内の物流センターでも繁閑の問題はあった。仕事が不足して赤字が2年間ほど続いた時期もあります。

 しかし、中国での当社の生産量を集計してみるとすごかった。それがさらにどんどん増える。せっかくS社が呼び掛けてくれたのだから、それに応じて、リスクは覚悟の上でやろうと社内を説得しました。

  2001年に、検品物流工場として、上海森億服飾整理が中国に設立された。その頃から、検品に対するニーズが急速に高まった。

 あるGMSが突然、全量検品を要請してきました。針の混入が多発したためです。同社に納品していた企業は、対応可能かどうか返事を迫られたのですが、当社は自社検品センターを持っていたためスムーズに対応できました。

 工場から顧客まで商品を届けるサプライチェーンを効率的に運営する取り組みも粘り強く継続しました。その一例として、店舗別にアソートし客先へコンテナで一括納品する“直流”もほぼ理論通りのコスト削減を実現し、S社との取引拡大に貢献しました。

  話は1990年代初頭にさかのぼる。当時、英国のコートルズ社(後にテンセル社に社名変更、その後オーストリアのレンチング社が買収)の繊維、「テンセル」を使ったデニムが大流行していた。

 当社はレンチング社の「モダール」(後に商標をテンセルに統一)の輸入総代理店でした。レンチング社がテンセルと同じ繊維、「リヨセル」(同)を開発したと聞き、輸入総代理店権を獲得したいと勇んで交渉に赴きました。(文中敬称略)