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繊維街道 私の道中記/モリリン 取締役相談役 森 克彦 氏(5)/活力のある会社に

2019年11月29日(Fri曜日) 午前11時20分

  当時「リヨセル」(後に商標を「テンセル」に統一)は、試験生産段階だった。モリリンはそんな段階で、リヨセルを使った生地の開発に乗り出す。

 まだ年間百数十トンのセミコマーシャル生産段階だったのですが、プレマーケティングの必要性をレンチング社に説きました。そして、紡績、織り・編み、染色の各工程で高い技術を持つ日本企業に呼び掛け、糸、生地の試作を進めます。今でこそ商社も素材開発を重視していますが、当時は、「それは商社の役割ではない」というのが一般的な考え方でした。「商社の主導で素材開発を推進できるはずがない」と忠告されたこともあります。

 しかし、そこに踏み出そうと思いました。夢があるし、面白そうだったからです。そしてなによりも、それを実現しようとする人材が社内にいました。現場主導で進み、私は後からついていったという感じです。

 ただ、立ち上げて1年ぐらいは、なかなか生地生産が軌道に乗りませんでした。当社とレンチング社のスタッフが頻繁に行き来し、いろいろな問題を話し合いました。リヨセルは扱いが難しい繊維です。価格を下げただけで売れるような物ではありません。生地にするためのしっかりとした組み立てが必要でした。レンチング社もそのことを分かってくれました。テキスタイル・チェーンが確立するまではなんとか頑張ろうというスタンスでした。

  リヨセル使いの生地開発に成功したモリリンは、「独自開発素材からアパレル製品までの一貫提案」に注力し始める。

 商社にできるはずがないといわれた素材開発をリヨセルで可能にし、ビジネスとして成果を上げた結果、独自素材を開発しようとする機運が全社に広がり始めました。

 お客さんへの提案の仕方も変わりました。素材を開発して売ってそれでおしまいということではなく、製品にしてアパレルに提案するという流れが自然発生的に出てきました。当時の商社の提案の仕方としては珍しかった。当社が先鞭(せんべん)を付けたと思います。開発から、パブリシティー、展示会での見せ方までの連鎖を大切にするようになりました。

  2010年に森は、社長を退き、会長兼CEOに就く。

 04年から一宮商工会議所の副会頭を務めていました。前任の会頭が健康上の理由もあって退任され、私に白羽の矢が立ちました。まさか私がとは思いましが、そろそろ現場から離れて、地元の経済に役立つようなことをしたらどうかという神様の声かもしれないと思い、受けることにしました。ただ、私は器用な方ではありません。会議所会頭職は極めて多忙なことは知っていましたので、会社の社長職とは両立できないと判断しました。モリリンの事業年度が変わるのを待たず、商工会議所の会頭となった11月に、モリリンの会長兼CEOとなりました。私は会社の長期的な方向性を示し、執行は社長に任せる体制としました。

  インタビューの最後に、取締役相談役として今思うことを聞いた。

 若い社員が、会社の将来に希望を持って日々の業務に取り組み、自らの成長を重ね合わせることで、会社に活力が出てきます。活力のある会社にしたいと常に思ってきました。

(この項おわり、文中敬称略)