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繊維街道 私の道中記/モリリン 取締役相談役 森 克彦 氏(1)/プエルトリコに駐在

2019年11月25日(Mon曜日) 午後4時51分

 1903年3月25日、五代目森林右衛門氏とその弟の林兵衛氏が、それまでの「辰巳屋」に替えて「合名会社森林商店」の看板を掲げる。この日を創立記念日とするモリリン。以来、116年が過ぎた。この間、事業環境はさまざまに変化した。その変化に柔軟に対応したからこそ同社の今日がある。第7代社長として11年間陣頭指揮を執った森克彦氏の繊維街道を紹介する。

  終戦の翌年、1946年に森は、モリリンの第4代社長、一成の長男として愛知県一宮市で生まれる。

 小学校高学年の時は、自宅の庭が広かったので、そこで近所の子供たちとソフトボールをやったりしていました。かつてそこにあった森家の住居が空襲で燃え、子供たちの遊び場になっていました。そこに家を建て直して住んだものですから、近所の子供たちは以前と同じように、我が家の庭で遊ぶ権利があると考えたのでしょう。

  その後森は、名古屋のミッションスクール、南山中学校・高等学校に進む。

 結婚式でよくある祝辞のようですが、小、中、高ともに成績は極めて優秀でした(笑)。

  そして、一橋大学へ入学した。

 尾州は慶應大卒が多く、父もそうでしたので、東京の大学に行くなら慶應だと考えて受験勉強をしていました。ところが高校の同級生が「一橋を受験するけど、腕試しに受けてみてはどうか」と誘う。受験したら、合格しました。

  一橋大と神戸大、大阪市立大の「旧三商大」は戦前から、持ち回りによる「3大学ゼミ」と呼ぶ勉強会を開いていた。

 引っ込み思案の私にしては珍しいのですが、その実行委員を自分から手を挙げて務めました。開催資金を工面するために手分けてして会社を回り、先輩に寄付をお願いするのですが、なかなか集まらず、15社ほど回りました。

  この頃になっても森は、父からモリリンへの入社を要請されることはなかった。

 父は社長を14年間務めましたが、人とのコミュニケーションが苦手で、仕事に向いていないことを自覚していました。だから息子も性格的に商売には向いていないと思っていたようです。但し、家督(森家の資産管理)を早く担ってほしいとは口にしていました。従って私は、会社を継ぐつもりはありませんでした。会社は、親戚の誰かがやればいいと思っていました。

  一橋大を卒業した森は三菱商事に入社。職場の先輩に恵まれ、ビジネス経験を積む。4年後に、合成ゴム原料の製造プラントをプエルトリコに建設するプロジェクトの担当として、米・ニューヨークに赴任した。

 赴任後、プラント資産台帳管理と稼働に備えて水、電気、蒸気、窒素調達の詳細を詰めるために独りでプエルトリコに駐在することになりました。気候はいいし、楽しかったですよ。すごく貧しい地域だと思っていたのですが、1959年のキューバ革命以降、米国の経済支援を受けたことに加えて、キューバ在住の資産家がプエルトリコに移住して不動産開発を進めたことで、大きく変わっていました。当時、日本ではまだ見られない素晴らしいホテル群があり、カジノもあり、パリの一流のダンサーのショーもありました。

(文中敬称略)