繊維街道 私の道中記/艶金 社長 墨 勇志 氏 ④

2020年03月26日(Thu曜日)

すぐにやめるに違いない

 艶金化学繊維の財務体質は悪かったが、実は艶金興業が撤退を決めた時点でも、増収を果たしており、しかも黒字だった。染色の仕事はこりごりだと思っていた墨だが、この「奇跡に近い」業績の要因を調べてみることにした。

 この会社は、編み地専門の工場です。1990年から2010年までの20年間で、尾州の織物の生産量は4分の1に減りましたが、編み地は半減にとどまっていました。業界全体で見ても、編み地の方が織物よりもましだった。

 それ以上に決定的だったのは、工場が愛知県ではなく岐阜県にあるということ。愛知県の工場は、工業用水を使わないといけません。1日当たりの水の最大使用量を契約し、使おうが使うまいが、最大使用量分の利用料金を払い続けないといけません。仕事が減ったとしても、一度決めた最大使用量を変更することは基本的にできません。排水は、処理せずに企業専用の下水に流せばいいのですが、これにも料金が必要です。

 ところが岐阜県には工業用水がなく、地下水を使用する。だから、タダ。企業用下水もない。自社で排水処理しないといけませんが、そのための設備は償却済み。排水処理のための薬品は必要ですが、下水料金よりははるかに安い。

 このように、経費構造に決定的な差があることが分かりました。

 それとボイラー。艶金興業は重油ボイラーを使っていましたが、艶金化学繊維は、木材チップボイラーです。1987年にボイラーの燃料をバイオマスに転換していました。当時としては非常に珍しかったと思います。第2次オイルショック(78~82年)で重油が高騰したため、コストダウンを狙って導入したのですが、その後重油が値下がりしたため、メリットがないと見なされていました。ところが重油が再び高くなり、燃料代も、艶金化学繊維の方が艶金興業より安くなっていました。

 そんな要素が重なって、ギリギリではあるけど黒字でした。仕事量を維持できれば、存続できると思い始めました。

 当初は、染色の仕事にはもう携わりたくないと思っていたのですが、艶金興業にしてもやりようによっては事業を存続させることができたのにという悔しい気持ちもありましたので、引き受けることを決断しました。

   艶金化学繊維の全株式を買い取った墨は、2010年8月20日、同社の代表取締役社長に就任した。

 艶金興業に在籍していた時も、艶金化学繊維に頻繁に来ていたわけではないので、当時70人ほどだった社員のほとんどは私の顔を知りません。私も、同社にどんな設備があるのかを詳しくは分かっていませんでした。

 アウェー感をひしひしと感じました。後から聞いた話ですが、艶金興業の染色整理事業をやめた張本人だと思われていたようです。なので、艶金化学繊維についても、少しやってみて、ダメならすぐにやめるに違いないと皆思っていたようです。

(文中敬称略)