繊維街道 私の道中記/蔭山 名誉会長 蔭山 照治 氏 ⑤

2020年06月26日(Fri曜日)

同族経営ではなく全員経営

 国内の羽毛ふとん市場規模は、1984年の2142億円、94年の919万枚をピークに減少に転じる。蔭山の売上高も91年の66億円をピークに下降し、難局にも直面した。

 阪神淡路大震災が起きた95年は、前年の暖冬による売れ行き不振で大量の在庫を抱えて越年しました。加えて、震災の影響で経営が厳しくなりました。兵庫県西宮市の海清寺の春見文勝老師の接心に参加して1週間座禅した際に、同師から「人生死ぬまで七転八倒だ」と諭されました。その言葉で気持ちが落ち着き、死中に活を得て乗り越えることができました。

 長谷川大二氏(現・最高顧問)が社長を務めていた2007年には取引先2社が倒産し、1億5100万円の不良債権が発生しました。「蔭山は大丈夫か」。業界内でうわさが広がりました。

みずほ銀行本町支店には、前身の第一勧業銀行の時から当社の決算書を定期的に報告しており、この時も即刻実態を報告しました。そして早速1億円の私募債発行を実行していただきました。これには大いに奮い立ちました。そのお金には手を付けず、社員一丸となって翌年に不良債権全額を償却しました。

蔭山は01年、代表取締役会長に就き、2代目の代表取締役社長に常務取締役商品企画本部長の長谷川氏が就いた。同族経営を選ばなかった。

 社員教育などでお世話になっていた住友ビジネスコンサルタントの指導の下、社員全員でスローガンを作りました。その中に「みんなの意見を寄せ集め、みんなで作ろうみんなの会社」との一文があります。この言葉を踏まえて、会社は私個人のものではなく、全員経営へ方針を進めました。

 長谷川氏は公平無私で、彼の口から人の悪口を聞いたことがありません。意匠出身の“デザイナー社長”として業界から注目されましたが、顧客第一主義で健全経営を進め、社長就任前の34期末の自己資本比率23・4%から、退任前の50期末には41・3%にまで高まりました。毎期の決算書作成時には、持ち株の評価損、その他仔細な損失をもれなく計上し、重箱の隅をつつくほど奇麗な決算書で企業体質が大きく強化されました。取引銀行の信用も一段と向上したと感じています。住友の事業精神で私が肝に銘じていた「浮利を追わず」も徹底し、経営基盤の安定に努めてくれました。

 蔭山は09年に代表権を外し取締役会長に就いた。保有する株式の一部をニッシン・トーア(現・ニッシントーア・岩尾)へ譲渡し、日清紡ホールディングスの持分法適用関連会社となった。10年には役員を退任して名誉会長に就任。一線は退いたが、93歳になっても週に1日、本社に足を運ぶ。しかし、新型コロナウイルスへの感染を防ぐため、このところ外出自粛を余儀なくされている。

 新型コロナ禍は、これまでとはスケールの異なる異質な厳しさになると感じています。この大ピンチに、三代目の伊藤忠一社長のもと、全員経営で臨む必要があります。そして、不易流行の精神で挑んでもらいたいですね。

蔭山照治が目指した経営のDNAは、蔭山の後進に受け継がれ、新たな歴史を重ねるだろう。(文中敬称略、この項おわり)