繊維街道 私の道中記/オーダースーツSADA 社長 佐田 展隆 氏⑤

2020年07月31日(Fri曜日)

祖父に導かれて

 従業員は労働債権の解消を求めてストライキの準備を進め、物流会社には「未払いを解消しなければ荷物を運ばない」と言われた。財務状況を知るはずの金融機関は元本返済の再開を迫る。皮肉にも黒字化によって会社が行き詰まる。

 「もう無理」な状況でした。父と相談し、私的再生(会社の再建を裁判所の関与なしで行う手続き)に向けて進み出します。債務25億円の6割を放棄してもらえれば何とかなると考えました。再生プランも出来上がったのですが、父が行っていた不正が発覚します。未払い金がまだまだ残っていたのです。

  これによって私的再生の道は閉ざされてしまうが、中小企業再生支援協議会が助け舟を出す。金融機関に働き掛け、債権の85%放棄を認めさせる。ただし、佐田家にも責任を取らせるという条件があった。

 「オーナー一族は経営から身を引き、自己破産しろ」と言われました。当時は私が社長を務め、父は「親子そろって腹を切る(破産)」つもりでいたようですが、結果的には父の破産だけで収まります。「従業員の雇用は守ってほしい」と再生ファンドに頭を下げた父の姿が印象に残っています。

 会社は10年の再生計画の下で再スタートするのですが、従業員の雇用を守るという話はなかったことにされていました。「会社に残らないか」という誘いもありましたが、信頼ができないと感じ、去る決意をしました。もう戻ることはないと思っていました。

  佐田の心情を無視するかのように時代は大きなうねりに直面する。2008年のリーマン・ショックで再生ファンドが解散し、新会社は繊維関連企業に買収される。そして東日本大震災。会社は赤字に転落し、あえいでいた。

 勤めていたコンサルティング会社を退職したタイミングで、「帰ってきてほしい」と連絡がありました。経営状況を見ると、中国の生地会社などへの支払いが滞っているようでした。父を含め、周りからは反対されましたが、私には祖父が「戻って会社を立て直せ」と言っている気がしました。

 経営企画室長という立場で入社します。売上高は私が社長を務めていた頃の約3分の2に減り、心配していた通り、未払い金もたまっていました。売上高の回復が喫緊の課題で、直販(小売り)事業に命運をゆだねることにしました。とはいえ資金はなく、空中店舗などで出費を抑えます。

 11年10月、JR新宿駅近くに新宿店がオープンします。記念セールを2回実施して、合計500万円の売り上げを狙っていましたが、開店と同時に人が殺到し、800万円に達します。店舗も着実に増え、19年8月には社名を佐田からオーダースーツSADAに変更しました。

  20年6月に54店舗目となる新店を東京の銀座に開設した。高級路線加速のための旗艦店と位置付け、新顧客開拓や単価アップを目指す。100周年直前の23年7月期に売上高50億円と店舗数80を目標に掲げる佐田。挑戦の道のりはまだ続いている。

(この項おわり、文中敬称略)