繊維街道 私の道中記/タキヒヨー 社長 滝 一夫 氏(1)

2020年08月24日(Mon曜日)

新聞に「経営危機」の見出し

 1751年創業のタキヒヨーは、名古屋銀行(合併で東海銀行などを経て、現在は三菱UFJ銀行)や愛知県の名門進学校となった瀧実業学校(現在の滝学園)を設立、日本初の国際観光ホテルである蒲郡ホテルを開業するなど、愛知県の経済、文化の発展にも貢献してきた。現社長の滝一夫(60)は、同社の事業を和装から洋装へ転換して業容を拡大した7代目社長、滝富夫の長男だ。超名門の御曹司である滝の前途は洋々たるものだと誰もが思っていた。ところが……。滝の波乱万丈の繊維街道を紹介する。

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  滝の記憶に残る人生最初の場面は、祖父である六代・瀧兵右衛門の葬儀だ。

 祖父は私が2歳になる前日に亡くなりました。家に続く長い坂に、車がずらりと並んでいたことと、人がたくさんいたことを覚えています。

  幼稚園に入る前に家族で東京へ引っ越し、小学校の1年生を終えるまでの3年間を過ごした。その後、名古屋に戻り、愛知県屈指の進学校である中高一貫男子校、東海中学校・高等学校に進む。

 高校には1学年で550人ぐらいの生徒がいました。そのうちのトップ150人ぐらいがA軍で残りはB軍。私はB軍でした。今にして思うと、面白かったのでB軍で良かった。成績が悪く留年しそうになった仲間に、皆で教え込んだりしました。寄り集まってああでもない、こうでもないと言いながら教え込む。それぞれが分かっている所を、チームワークで教えたわけです。一体感がありました。

  やんちゃなこともしたようだ。

 毎年冬になると家族でハワイに行っていました。ハワイでは新年を迎えるに当たって、タバコ1カートン分ぐらいの大きさの爆竹を鳴らしたりする。それを2、3個、日本に持ち帰りました。で、高校の卒業式の時に、皆を驚かせてやろうと思い学校に持っていきました。3、4人で屋上に登って火を付けると、すごい音がした。皆、びっくりしてくれました。そんなことばっかりやっていました。当時の仲間とは今でも交流しています。

  そんな“平穏”な日々が、徐々に変わり始める。

 1977年に、父が経営していたタキヒヨーが、オイルショックに端を発する経済混乱によって大きな損失を計上しました。中日新聞の朝刊1面に「タキヒヨー経営危機」との見出しが躍ります。父は仕事の話を家ではしなかったので、母はすごくびっくりしていました。父は「大丈夫」だと言うのですが、記事を読むとちっとも大丈夫じゃなかった。

 父にインタビューしようと、新聞社の黒塗りの車が家の周辺で夜に待ち構えるようになりました。

 父は夜遅く帰ってくるのですが、家の前に来ると運転手がクラクションを鳴らす。帰ってきたという合図です。以前からそうでした。私は夜になると一人で家の周りを歩きました。黒塗りの車を見つけたら、父が帰ってくる頃に玄関の中で待機します。で、クラクションが鳴り、父が玄関前で車から降りると直ぐに玄関を開け、家の中へ引っ張り込みました。父は、記者を家の中に招き入れかねない人でした。母と相談して、そうしようと決めました。