繊維街道 私の道中記/タキヒヨー 社長 滝 一夫 氏(2)

2020年08月25日(Tue曜日)

「お前はロスに行け」

 高校を卒業した滝は、東京の玉川大学に進んだ。ところが、入学した年の8月、母が亡くなる。父、富夫は、タキヒヨーの社長を辞し、一家で米国に移ることを決めた。

 「お前はロサンゼルスに行け」と言われました。エッと思いましたよ。父は、ニューヨークに行くと言う。私には双子の弟がいますが、彼はその時点で既にアイオワにいました。

 ロスに行きましたが、英語が話せない。英語学校に通い、マスターするまでに3年ほどかかりました。その間は結構大変でした。

  最初の何カ月間かは、父、富夫の知人の家で面倒をみてもらった。しかし、通うことにした英語学校が遠かったので、一人暮らしを始める。

 父がニューヨークから毎月300㌦(当時の為替レートで約6万円)の小切手を送ってくる。それで生活の全てを賄わないといけません。学費は父が払ってくれましたが、教科書や洋服代、食事、家賃、光熱費も300㌦で賄わないといけない。

 ロスに3年間いましたが、居場所は9回替わりました。モーテルにいた時もあれば、ルームシェアでホテルに転がり込んだこともあるし、アパートを借りて3人で住んだこともあるし、人の家に居候したことも3回ありました。

 お金が底を突きかけたら、家の近くにあった「吉野家」で牛丼を買って、昼に半分だけ食べ、残りを夜食べたりしました。車も必需品でした。1500㌦(同約30万円)のボロボロの車を買い、ガソリンを必ず残しておくようにしました。そうしないと、現地で知り合った人の家に転がりこんで、頼むから食わせてくれと言えない。食わせてもらうために、車が必要でした(笑)。

  英語の勉強を続けながら、「コミュニティーカレッジ」と呼ばれる地域の小さな学校に通い会計学を学ぼうとしたが……。

 専門用語も出てくるのでついていけない。母が亡くなって直ぐに、ロスに一人で放り出されたわけです。最初の1、2年は気が張っていたのでなんともなかったのですが、この頃になると、これらどうしたらいいのかと憂鬱(ゆううつ)になる。がんばろうと思った会計学も、試験でまともな点が取れない。

  悩む滝の前に、救いの女神が現れる。

 途方に暮れて、ショッピングモールの長椅子に一人で座っていました。すると、30代半ばの女の人が「顔色が悪いけどどうしたの」と聞いてくる。大丈夫だと答えても、「大丈夫に見えない。悩みがあるなら話してみなさい」と言う。で、なかなかうまくいかず、お金もなく、半分鬱(うつ)になりかけていると打ち明けました。

 すると、「私が勉強を教えてあげる」と言う。その人は弁護士でした。毎週水曜日の午後6時半に来いと言うので行くと、TVディナー(そのまま食べられるようにパッケージされた冷凍食品)を用意しておいてくれて、数学とか英語とかを教えてくれました。タダでですよ。不思議な出会いです。今考えても、なんでやねんと思う。世の中って捨てたもんじゃないなと思いました。

 半年ほど教えてもらいました。おかげで、コミュニティーカレッジでも試験を受ける度に点数が上がり、自信がつきました。あの人のおかげで立ち直れた。(文中敬称略)