繊維街道 私の道中記/タキヒヨー 社長 滝 一夫 氏(3)

2020年08月26日(Wed曜日)

ワールドで営業の原点を知る

 女性弁護士のおかげで自信を取り戻した滝は、改めて大学に進もうと考え始めた。ちょうどその頃、ニューヨークの父から、「もう一度皆で住もう」との誘いが来る。

 荷物を車に積んでニューヨークに行きました。エアコンがついてなくて暑かったのですが、ロサンゼルスから5千㌔ちょっとの距離を、5日間で走りました。アメリカを一人で横断するといういい経験ができました。

  ニューヨークに着いた滝は、フォーダムユニバーシティーの経済学部に入学する。

 多分、人生で一番集中して勉強した。3年生までに難しい単位を取り終えたので、4年生になると余裕ができました。で、社会というものを経験しようと、昼間は、アンクライン社の倉庫で働き、大学には夜行くことにしました。

  父、富夫はタキヒヨーの社長だった1973年にアンクライン社に資本参加し、翌年買収していた。

 無事卒業できる見通しが立ったころに父が、神戸にワールドという会社があり、畑崎(廣敏)さんという社長がニューヨークに来られるから会ってみないかと言う。日本の大学に少しだけいて、直ぐにアメリカに渡ったので、ワールドという会社を知りませんでした。でも、会ってみることにしました。

 畑崎さんと、現在は同社のシニア・チェアマンの寺井(秀藏)さん、そして父、私の4人で夕食を共にしました。その場で父が、私を会社に入れやってくれないかと畑崎さんに頼みました。畑崎さんは、「ええで」と言ってくれた。

  ワールドに入社した滝は、自ら希望した企画部門に一週間だけいた後、畑崎の意向で「コルディア」ブランドの営業部門に移る。

 畑崎さんは、まず営業を覚えた方が私のためになると考えられたのだと思います。岡山から山口、北九州の専門店をカバーする関門エリアというところに配属されました。よく働く部隊でした。私も、むちゃくちゃ働きました。3カ月で16㌔痩せました。おかげで営業の原点が分かった。身を粉にして働くということがないと、店の信頼を得ることができません。前日の夜に店に入って、社長から店の鍵をもらう。で、朝一番に行ってシャッターを開け、空調のスイッチを入れ、店先を掃いて、打ち水をするといったこともよくやりました。

 ワールドさんには4年と少しお世話になりました。ワールドを去る日が近づいた時に、課長が展示会で「滝は、退社して自分の会社に帰るんです」とお客さんに説明した。当時、16件の顧客を担当していましたが、そのうちの10件の奥さんが「辞めないでくれ」と泣いてくれました。ありがたく、かつうれしくて、こちらの方が泣けてきました。

  1990年に滝はタキヒヨーに入社し、東京で「アンクライン」の営業を担当する。

 現在の会長(滝茂夫)は当時常務で、百貨店事業部長を務めていました。当時の私の上司の上司です。当然、私の上司に指示する。指示された上司は私に、「こんなこと言われたけど、できるわけないよな」と言う。最初は話を合わせていました。

 しかしある夜、常務がいろいろなアイデアを出しているのに、それに対して「できるわけない」などと、評論家みたいに言っていていいのかと思い始めました。愚痴はもう絶対言わない、「できるわけない」という話に同調もしない、どうすればできるかということだけを考えようと決めました。

(文中敬称略)