繊維街道 私の道中記/タキヒヨー 社長 滝 一夫 氏(4)

2020年08月27日(Thu曜日)

私が喧嘩しないと誰がする

 アンクラインの営業を2年間担当した後、名古屋に異動する。

 前売り問屋と地方卸へミセスのボトムスなどを販売する部隊に異動しました。商品は非常に安い。ポリエステル混のパンツが1900円。当社の出し値かと思ったら、小売価格だと言う。出し値は「ピンピン」(1010円)。それまで百貨店で5万9千円のパンツを売っていたので、びっくりしてしまいました。すごい世界に入ったと思った。

 ところが3カ月たっても、得意先を持たせてもらえない。やることがないので、自分で客を探すことにしました。アンクラインの営業を担当したおかげで、ほとんどの百貨店のバイヤーを知っていました。1900円のパンツを持って彼らに売りに行きました。彼らは、そんな価格で買ったことも売ったこともありません。驚きながらも、催事用に仕入れてくれました。催事とはいえ、そんな価格のパンツを百貨店が売ることはあまりないので、めちゃめちゃ売れました。

 「テンセル」使いの商品が良く売れていると聞き、それを安く作ればもっと売れると思いました。デザイナーに手伝ってもらって作り、大阪と九州の当社支店に百貨店のバイヤーを呼んで受注会を開きました。

 百貨店も、テンセル製品が売れていることは知っていました。そこに破格の商品の受注会を開くと電話する。皆、「分かった」と来てくれました。受注会では、「製品洗いのテンセル100%のジャケット、上代1万5千円、仕入れ値7900円。買い取りが条件です。何枚発注しますか」とやるわけです。バイヤーは他社のバイヤーと相談しながら、発注量を決める。各社の発注の合計が、ミニマムロットに達しない場合は、「何枚足りないので、すみませんが発注し直してください」とその場でやる。そうすると、「しょうがないなあ」と言いながら増やしてくれました。主導権を持ってできた商売でした。楽しかったなあ。

  量販店向けの婦人スーツ、ジャケット、コートを扱う部門も経験した。

 課長として異動しました。ところがその年(1997年)に、山一證券が破綻します。バブル崩壊後もそれなりに売れていたのですが、山一證券破綻後に経済が一気に冷えて、量販店から納品要請が来なくなりました。発注はもらっていたのですが、納品用の伝票が来ない。結果、2億円ぐらいの純利益を出すつもりだったのに、10分の1の2千万円しか出ませんでした。とはいえ黒字です。当時、当社で黒字を維持した課は三つしかありませんでした。管理本部長に褒められました。

 赤字を免れたのは、もらった発注量よりも少なめに作っていたからです。多めに発注し、最後に引き取らなかったりする顧客がいました。発注する人の性格を読みながら、少なめに作っていました。

 もちろん、それで商品が不足するような場合は、契約書をたてにむちゃくちゃ怒られます。そんな時は、「契約順守を言うのなら、まずこの商品を引き取ってください」と言う。だって正論ですから。片方の契約を守れと言うなら、もう片方の契約も守るのが筋でしょ。それぐらい言わないと翻弄され、利益は残りません。大もめになるようなら、部長にお出まし願えばいい。私が喧嘩(けんか)しないと、誰がするのだと思っていました。

(文中敬称略)