繊維街道 私の道中記/タキヒヨー 社長 滝 一夫 氏(5)

2020年08月28日(Fri曜日)

「お前ら偉いぞ」

滝が名古屋にいる間に、古巣の「アンクライン」部門は赤字にあえぎ始めた。東京に行き、ブランド長として立て直しに入る。

 4億6千万円ぐらいの赤字を出していましたが、1年で2億6千万円の黒字にしました。当時87店舗ありました。その一つ一つの現状を把握して施策を打ちました。商品も管理方法も変えました。

  黒字化を果たし、「やれやれ」と思っていたら、名古屋のテキスタイル事業部に異動することになる。

 副事業部長として赴任しました。当時のテキスタイル部隊は、個人商店の塊のような感じでした。それぞれが何をやっているのか分からないので、3、4カ月間は何もしないで見ていました。ある時、この人たちは得意先のことは良く知っているが、生地の作り方はあまり分かっていないということに気付いた。得意先から出された“宿題”を、そのまま仕入れ先に投げていたからです。こんな風に言われたから変えてとニュアンスを伝えるだけで、どこをどう変えてとは言っていない。モノ作りが分かっていないなと思った

 で、生地の企画開発室を作りました。お世話になったのは三星毛糸(岐阜県羽島市)の現会長の岩田和夫さんです。テキスタイル部隊に赴任した時に岩田さんに呼ばれて、「一夫君、ウールの糸番手はどうやって決まっているか知っているか」と聞かれました。「分かりません」と答えると、「それぐらい知っておかないと、尾州の生地は売れないぞ」とおっしゃり、モノ作りの基礎を教える半年間のプログラムを組んでくれたのです。若い社員5人ほどと週末に受講しました。プログラムに合わせていろいろな先生を用意してくれました。おかげで、モノ作りの理屈が分かった。それで、企画開発室を作り、生地の開発に力を入れることにしたのです。

  滝が社長に就任したのは2011年3月。その1年前から就任に向けた準備が進んでいた。

 準備が進む1年間の間に、米国発のブランド「セオリー」を日本でヒットさせた佐々木力さんと話したことがあります。佐々木さんはタキヒヨー出身の方で、初めてお会いしたのは私が米国にいた時。私は「おじき」と呼んでいました。

 佐々木さんは私が社長職に就くことは知らなかったと思うのですが、「なあカズ、そのうちお前も社長になるだろうが、なってもおごるな、威張るな。どうせ一人で全体を見切ることはできない。だから社員がいる。社員と社長は同列。社長の役目は二つしかない。結論を出すことと、会社の将来を常に考えることだ」とおっしゃった。その通りだと思いました。

  社長就任直後、東日本大震災が発生する。

 3月11日は金曜日でした。翌週の月曜日に、入社1年目と2年目の社員が2人で社長室に入ってきて、「東北支援策を考えてきました。プレゼンさせてください」と言う。どうやら2人は、会社近くのホテルに日曜日に自費で泊まり込んで資料を作ったようです。商品を売ったお金の一部を寄付するといったような内容でした。アイパッドを使って説明し始めたのですが、最初のうちは操作する手が震えていました。そりゃあ緊張しますよね。社長と話すのは入社面接以来ですから。お前ら偉いぞと思った。タキヒヨーも捨てたものじゃないなと思った。本当にうれしかった。やれるだけやりなさいと言いました。

  新型コロナウイルス禍もあり、業界構造が大きく変わる可能性が高まった。滝の波乱万丈の繊維街道はまだまだ続く。

 今期は苦戦することになるでしょうが、まだ体力がある。目の前のことでばたばたするのも大切ですが、これから育てるべきネタを、外部の新しい血、新しい考え方も取り入れて複数検討しています。このまま終われませんよ!

(この項おわり、文中敬称略)