日中に架ける橋 我的繊維人生(中)/上海柳川大橋麻業 董事長 張 秋林 氏/40歳で新たな人生踏み出す

2020年10月29日(Thu曜日) 午後1時21分

 張氏は1982年3月から1年強、酒伊繊維工業(現サカイオーベックス)の名古屋工場で染色技術の研修を受けた。この時期に、その後「お父さん」と慕うことになるオーハシセンイ(滋賀県彦根市)の大橋昭三社長と出会う。

 「日本の皆さんにはとても良くしてきていただきました。私がこれまで会った日本人で悪い人は一人もいません。その中で、私が最も影響を受けた人が“お父さん”です。現場主義、誠実、良いものへのこだわり、社会への貢献を大事にする姿勢などを学びました」

 日本での研修を終え、帰国すると、哈爾浜亜麻紡織廠からハルビン市役所の紡織管理局に移籍。国営織物工場の経営や、黒竜江省で外資合弁の第1号となった香港企業との合弁工場の立ち上げなどを任された。

 84年12月24日付「ハルビン日報」は、「選ばれた青年幹部が現場で執務」と題した記事の中で、織物工場の経営立て直しに取り組む張氏の活躍を伝えている。

 このまま行けば官僚として出世コースを歩めるはずだった。しかし、張氏は別の選択をする。

 「私の出身は“旧地主”です。祖父の代まで山東省の地主でした。この出身では出世は難しい。上司が簡単に失脚していく姿も見ました。官僚の世界は自分には合わない。海外で経営を学んでみたい、と思うようになりました」

 86年、40歳の張氏は日本に私費留学する。この決断を受け入れられなかった前妻と離婚。2人の子を連れての日本行きとなった。当時は日本語もほぼできず、文字通りゼロからの再スタートだった。

 福井県立大学、金沢大学大学院を経て、94年3月、立命館大学大学院経営学研究科の博士課程を修了する。

 「留学直後からお父さんのところに出入りし、学費を稼ぐため、アルバイトをさせてもらいました。当時のオーハシセンイは、規模は大きくありませんでしたが、高品質の麻織物を生産する実力派の機業でした」

 94年6月、ブリヂストンサイクルに入社し、中国江蘇省常州市での工場立ち上げに携わった。その仕事を終えた頃、“お父さん”から思いもよらない誘いを受ける。

(上海支局)