繊維街道 私の道中記  澤田会長   澤田 隆生 氏(1)

2020年11月16日(Mon曜日)

泉州を日本のミラノに

 ニット用原糸販売からニット製品の企画開発・販売まで手掛ける澤田(大阪府泉大津市)。創業者である澤田隆生会長は開発型の糸商社として確固たる地位を築いてきた。新型コロナウイルス禍によって日本の繊維産業も転換期を迎える中、これまでの軌跡を振り返りながら、未来に向けた思いを語る。

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  1938年、大阪・泉大津で生まれた澤田。中学を卒業後、定時制高校に通いながら泉大津の紡毛紡績、加藤毛糸で働いていた。

 当時、泉大津の紡毛紡績は大津毛織、深喜毛織、藤井毛織が御三家と呼ばれ、加藤毛糸はそれらを追い掛ける中堅グループでした。そこで15年間、営業として働いたのですが、30歳を超えた頃にだんだんと自分のやりたいことが見えてきました。

 紡毛糸は用途が非常に多様で、毛布からカーペットまであります。それだけにどうしても顧客に言われたままに糸を作る“便利屋”的な立場になる。そんな中、比較的後発の用途がセーターでした。毛布やカーペットと比べて販売量は小さいけれども、しっかりと利益が取れる。重量よりも付加価値で評価されるニット用の糸をやりたいと思ったわけです。

  熱心に会社に働き掛けた結果、澤田はセーター用の糸販売を担う専門部署を作ることになる。ところが、事態は思わぬ方向へ進んだ。

 会社の方が、それほどセーターに熱心ではありませんでした。そうこうするうちに独立してやったらどうかという話に。今から考えても、当時の社長がなぜあんなに簡単に独立を許したのか分かりません。毛布やカーペット向けがもうかっていたこともあるでしょうが。

  1969年、同僚だった先輩と2人で澤田を設立し、独立した。このとき31歳。それから今年で52年目に入った。その間、澤田が持ち続けた思いがある。

 独立後、しばらくしてからイタリア・フィレンツェで糸展示会「ピッティ・フィラ―ティ」を訪れ、非常なショックを受けました。糸について詳しいと自負していたのですが「これほどまでに広がりがあるものなのか」と、自分が“井の中の蛙”だったことを思い知らされたのです。それから取引関係のあった商社の協力でイタリアの紡績や撚糸工場を定期的に訪問するようになります。イタリアから原糸を輸入し、日本で染色して販売もしました。イタリアの企業とは今でも親しい関係が続いています。

 イタリアのファッション産業の強さの源は、こうした糸の強さです。フィレンツェやミラノがあるイタリア北西部の海岸線は大阪湾に面した泉州地域と似ています。「泉州を日本のミラノに」と常に言っています。

  ミラノのように泉州を日本のファッション産業を支える中心地にすることが目標になった。だが、その道のりはスタートから大きな試練に直面する。

(文中敬称略)