繊維街道 私の道中記  澤田会長   澤田 隆生 氏(3)

2020年11月18日(Wed曜日)

画期的だった編み地・製品での提案

 「サネル」の大ヒットで糸商としての基盤を築いた澤田。さらに先進的な試みに挑戦する。

 次々と新しい糸を開発し、そのたびに取引先に提案のため糸サンプルを渡していました。ところがある時、検討をしていただくように置いていった糸サンプルが手付かずのまま置かれていることに気付きます。糸サンプルを渡すだけでは、なかなか試し編みもしてくれないわけです。そこでニッターで試し編みした生地サンプルで提案するようにしました。1974年には自社に横編み機も導入します。以来、糸を売るために編み地で企画提案するのが当社の特徴になりました。

 その後、編み地だけでなくアパレル製品のサンプルまで作って提案するようになります。そのためにデザイナーも採用しました。これも糸を売るためです。糸を売るために編み地やアパレル製品まで作って企画提案するというのは、糸商として画期的だったと思います。こうしたやり方が現在でも当社の強みになっています。

  編み地や製品を作り、糸を企画提案するというスタイルが確立すると、ニッターだけでなくアパレルまでが製品企画の参考にするために澤田を訪れるようになる。最終製品までトータルに考えた澤田の糸作りへの注目が集まっていった。

 紡毛糸とファンシーヤーンを撚り合わせた「トロアループ」という糸を開発したところ、レナウンの子供服のセーターに採用されてヒットしました。当時、レナウンに口の悪い課長さんがいて、「けったいな糸商のけったいな糸を使った服ばかり売れる」と言っていたそうです。ある時、その課長さんがニッターと一緒に会社を訪ねてきました。いったい、どんな糸商なのか気になったのでしょう。それ以来、「澤田の糸を使った商品が売れている」と“けったいな糸商”ではなく、きちんと澤田の名前を言ってもらえるようになりました。

 86年には泉大津市民会館でファッションショーも開催しました。糸商が、糸を売るためにファッションショーまでやるというのは例がなく、業界でも話題になります。

  糸商がアパレル製品まで作るという試みは、実際のビジネスにまで発展した。90年にアパレル製品事業を担うセランタ事業部を新設する。

 88年に東京・日本橋に営業所を開設していました。今でも不思議なのですが、山形や新潟、甲府、太田といった東日本の産地のニッターや生地問屋は東京のアパレルに直接提案するのが当たり前です。ところが泉大津のニッターや大阪の問屋は、なぜか東京に足を運ばない。そこで当社が東京に営業所を構え、アパレルに直接提案することにしたのです。ある意味で取引先ニッターの代わりに営業活動したような形です。その延長線上でセランタ事業が始まりました。製品提案を通じて東京市場の開拓を進めたのです。

  セランタ事業を通じて糸から製品までのトータル提案が強化され、市場は関東へと広がった。99年には東京営業所を南青山に移転し、ショールームも併設する。同時に、セランタ事業は次世代を見据えた挑戦でもあった。

(文中敬称略)