繊維街道 私の道中記  澤田会長   澤田 隆生 氏(4)

2020年11月19日(Thu曜日)

大阪繊維リソース問題で奔走

 セランタ事業部でアパレル製品事業に参入した澤田。背景には世代交代への思惑があった。

 1990年にセランタ事業部を作った頃、息子(現社長の澤田誠)が海外留学を終えて、香港の大手ニットメーカーであるフェニックス社で働いていました。彼が95年に帰国し、澤田に入社します。彼や若手従業員を中心にアパレル製品事業をやることにしたわけです。その後、彼を中心に2003年に香港子会社の澤田紡織を設立します。いろいろと体制も整ってきたことから、04年に社長を交代しました。

  会社の運営は無事に後継者に託すことができたが、澤田はその後、思いがけない役割を担うことになる。

 1990年に国や自治体が主導して産地支援を担う官民共同出資の第3セクター、大阪繊維リソースセンターが設立され、拠点として泉大津に複合ビル「テクスピア大阪」が建設されました。その当時、泉大津商工会議所のニット部会長としてリソースセンターでカレッジを開くことを提案しました。そうして立ち上げたのがニットカレッジ泉大津です。上田安子さんが協力してくれました。

  澤田は泉大津商工会議所で98年から副会頭、2006年からは会頭を務めることになるが、そこで起こったのが大阪繊維リソースセンターの破綻処理問題だった。09年に当時の橋下徹大阪府知事による政策変更を契機に大阪府のリソースセンターへの財政支援が打ち切られた。結局、リソースセンターは12年に清算されるが、この処理に泉大津商工会議所会頭として奔走することになる。

 リソースセンターは大手の商社や素材メーカーのほか、産地企業や産地組合が出資していましたから、できるかぎり損失が少なくなるようにしなければなりません。そこで阪南地域の七つの商工会議所で処理に向けた合意作りをすることになります。清算で出資金が失われるため反発も大きく、副会頭だった大津毛織の臼谷(喜世彦社長)さんやリソースセンター社長だった松田(正夫)さんらと一緒に頭を下げて回りました。特に臼谷さんが汗をかいてくれて、犬鳴山温泉の旅館に出資者を集めて詳細な数字を公開した上で説得を試みたこともあります。

 懸案だったのがリソースセンターの唯一の資産だったテクスピア大阪の建物をどうするかです。当然、現金化するために売却されるわけですが、あの建物の土地は元々、地元の繊維業者の皆さんが提供したものです。これまで繊維産地のためのさまざまな支援事業やイベントを担ってきた場所でした。そこが売却され、新たなテナントとしてパチンコ店が入るといったうわさがまことしやかに流れてくる。それはなんとしても避けたかった。

 そこで泉大津市に建物を買い取ってもらう案を作りました。市長に提案したところ、当初は前向きな反応だったのです。ところがその後、市が買い取りに難色を示します。そこで、最悪の場合は泉大津商工会議所で建物を買い取る案まで胸に秘めながら市に掛け合いました。最終的に市が建物を買い取った上で、運営は泉大津商工会議所が担う形で話がまとまります。

 リソースセンターが実施していた産地支援事業の一部も堺市以南の地域経済団体が連携して結成した大阪繊維産地活性化ネットワーク協議会が引き継ぎ、3年間ですが大阪府からの予算も獲得して展示会などを継続することができました。

  12年11月、大阪繊維リソースの後継事業として産地展示会「ザ・テキスタイル・ファッション・コンシェルジュ」が開催された。澤田らの努力によって、形は変われども産地支援の精神は受け継がれることになる。

(文中敬称略)