繊維街道 私の道中記 栗山縫製社長 栗山 泰充 氏(1)

2020年12月21日(Mon曜日)

小6で父が他界

 増収増益を続ける従業員33人の縫製工場がある。婦人服縫製工場として創業した栗山縫製(大阪府東大阪市)だ。新型コロナウイルス禍でもその勢いは止まらない。緊急を要する縫製に、約100人の退職者を活用して対応したり、自らのブランドで服を売ろうとする個人からの発注にも応じるなど、斬新な取り組みを行ってきた成果だ。崩壊に向かっていた家業をわずか18歳で継ぎ、発展へと導いた栗山泰充社長(55)の繊維街道を紹介する。

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  創業者である父の意向で栗山は、いずれも近畿大学付属の幼稚園、小学校、中学校に通った。私立に通わせる財力があったことになる。栗山も、そう思って育った。

 小学生の頃は結構いたずら好きでした。おかげで母親は、しばしば学校に呼び出されていました。

  そんな栗山の生活態度を一変させる出来事が小学校6年生の時に起きる。父の他界だ。

 長男である私がしっかりしないといけないと思い、一生懸命勉強するようになりました。

  そして、近大付属中学に入学し、大阪府立山本高等学校へ進む。ところが高校で……。

 友人と遊び過ぎてしまい、留年するはめになります。手に負えないと思った母は、留年してからの1年間、母の弟、私の叔父に私を預けました。叔父は怖い人でした。高校2年の時、カーリーヘアで叔父の家に行ったことがあるのですが、着くやいなや理髪店に連れて行かれ、丸刈りにさせられたことがあります。なので、預けられた1年間は、ちゃんとした髪型で通しました。

  高校1年の時からファッションに興味を持っていた栗山は、デザイナーになりたいという夢を持つ。高校を卒業したら東京の文化服装学院に入ろうと決めていた。ところが……。

 「高校卒業も間近になったので、あなたの家の状況を話すからしっかり聞くように」と叔父が切り出し、約5千万円を母に貸していると明かしました。今の私の感覚で言えば10億円ぐらいに感じる大金です。母がそれを借りたのは、私たち子供3人を学校に行かせるためでした。「もう大人なのだから、あなたがそのお金を返していくようにしないといけない」と言われました。

 確かに、私以外の2人の子も私立に通わせてもらっていました。食事も、貧しさを感じることは一度もありませんでした。だから、裕福な家庭のボンボンだと思い込んでいたのです。ショックでしたが、絶対に返済しないといけないと思いました。文化服装学院に進むのは諦めて、直ぐに家業を継ぐことにしました。

  栗山は、栗山縫製の仕事をしながら、近大の夜間で学ぶことにした。しかし、栗山縫製が置かれた状況は、それをも許さないほどに厳しかった。結局、大学には7回ほどしか行けなかった。

(文中敬称略)