繊維街道 私の道中記 栗山縫製社長 栗山 泰充 氏(2)

2020年12月22日(Tue曜日)

お茶も入れてもらえない

 かつて20人弱だった従業員は、栗山が入社した時には4、5人に減っていた。栗山は短期間で仕事を覚えようと、朝の8時から夜の12時まで働いた。そんな見習いのような時期に、業務改革にも着手する。

 なぜ赤字になっているのか分からなかったので、毎月の支出を母親に教えてもらいました。それを捻出するために必要な1日当たりの売上高をはじき出し、何枚縫えばそれに達するかを計算して、個人別に目標を定めました。

  それまでの同社にそんな目標はなかった。当然ながら従業員は猛反発する。

 18歳の若造が、入社するやいなやそんなことを言い出したので総スカンです。お茶も入れてもらえなくなりました。とにかく嫌われました。

  栗山は、孤立無援の状況を、長期戦で変えようとする。

 当時の従業員は4、5人です。15人に増やせば旧勢力は3分の1になります。そう思い、徐々に増やすことにしました。

  とは言え、直ぐに売上高は増えない。叔父にお金を返すどころか、さらに借りることになる。

 父親代わりをしてくださった叔父には感謝しています。なんとか返せるようにしようと、私の給料を月3万円に抑えました。10年間はその状態が続きました。

 私の入社の1、2年後に、今の妻が入社します。縫製の専門学校で学んだ彼女はすごく頑張り屋さんでした。仕事が終わった後、毎日のように縫う練習をする。負けん気が強かったのでしょうね。目標達成の方法などについて彼女といろいろ話しました。当時の社内での唯一の相談相手でした。栗山縫製の今があるのは彼女のおかげだと思っています。

  この頃栗山は、もう一つの改革を実行する。

 入社して2年目ぐらいから、アタッチメント(治具)を使わないといけないと考えていました。その方が早く縫えるだろうと。カタログにいろいろなアタッチメントが紹介されているのに、なぜか当社は使っていなかった。使うように言うのですが、かえって時間がかかると職人は嫌がる。でも、新たに入る社員は使ってくれます。それで浸透していきました。やがて、妻と私で考えた独自のアタッチメントも導入するようになります。独自開発したアタッチメントは現在80種以上になっています。

  栗山の改革は徐々に実を結び、入社5年目に赤字から脱却した。

 損が出なくなっただけで、まだもうかる会社でありません。この頃私は、借金を返すために仕事をしていました。社員は、借金を返すための、言わば道具のような感じでした。いろいろな会社へ行ってする営業トークのバックボーンにも、借金を返すためにこの人をどう利用しようかという思いしかありませんでした。

  転機は、米国で開発された自己啓発セミナーに参加したことがきっかけで訪れる。

(文中敬称略)