繊維街道 私の道中記 栗山縫製社長 栗山 泰充 氏(4)

2020年12月24日(Thu曜日)

「もう一度この地に帰る」

 業績悪化に悩まされていた北京高久にも、新たな問題が発生した。

 北京高久の工場は北京の一等地にありました。ところが、北京市政府の指示で石炭を使えなくなります。工場の周りの高速道路を利用する権利もはく奪されてしまいました。

   市内の一等地を有効活用したいという思惑が北京市政府にあったのだろう。

 やむなく、中心部から車で2時間ほどの郊外へ移転しました。私はなんとか建て直したいと思い、出資もさせてもらいました。しかし、元の工場の従業員は長時間通勤を嫌って辞めていきます。熟練工が減ったこともあって採算が合わなくなりました。それで、清算することになります。

   栗山は、中国での失敗の傷を癒す間もなく、栗山縫製の建て直しに奔走する。

 朝の8時から夜中の2時、3時まで働きました。累積損失が1億円ぐらいに達していたのですが、4年かけてゼロにしました。

   栗山はこの頃、外国人研修制度を利用するために業界団体に加盟。中国から研修生を受け入れ始めた。

 実は、中国の縫製合弁を清算した足で、始皇帝が天命を授かったといわれる場所に行きました。正座して、「もう一度この地に帰るので、どうか戻ってくることをお許しください」と言って帰国しました。中国の研修生を受け入れた背景には、もう一度中国にチャレンジしたいとの思いがありました。

 研修生全員に、中国に戻ってやりたいことを書いてもらいました。その中に「工場を作って社長になりたい」と書いた研修生がいました。彼女は、仕事が終わってからも縫う練習をするような娘でした。3年後には日本語検定1級にも合格します。研修期間最後の1年間は、経営セミナーに参加させ、日本の経営を学んでもらいました。中国に帰国後は、貿易業務を覚えてもらうために上海の貿易会社に勤めてもらいました。そこで英語検定3級にも合格。その後、中国に戻った別の研修生3、4人を集めて縫製工場を立ち上げさせました。それが、当社の専属縫製工場である黄石栗山縫製貿易です。

 ですが、すぐに当社向けの仕事をさせたわけではありません。当社が扱っているのは高級ゾーンの商品です。以前、北京高久でそれを縫って痛い思いをしました。なので、まずは中国企業向けの仕事をさせました。納品した商品を1枚だけ日本に送ってもらい、改善点を毎回伝えます。それを2年続けた後、栗山縫製向けの仕事をしてもらいました。現在同社は、支社を作るまでに成長しており、従業員は80~90人になりました。当社の資本は入っていませんが、資金は結構援助しました。

   中国には、同社の専属工場がもう一つある。

 私の弟が経営している森田縫製(大阪府東大阪市)という子会社があります。弟の奥さんは、当社の研修生でした。その奥さんの弟が、日本に来て、森田縫製で研修しました。そして中国に戻り、湖北省に鄂州市依諾服飾を設立します。ここも、当社の専属工場です。

(文中敬称略)