維街街道 私の道中記 日本絨氈社長 池﨑博之 氏(3)

2021年01月27日(Wed曜日)

理念を支柱にぶれにくく

池﨑の父、繁雄が咽頭がんを患う。

 手術はうまくいきましたが、声を出すことに不自由さがありました。父の復帰後、役員会に呼ばれました。「社長になれ」。突然でした。当時、私は平取締役で、製造物流本部長とタフトカーペットの販路開拓を担う本社営業部長を兼任し、軌道に乗せようとしていました。役員ではありましたが、常務でも専務でもない。古参の従業員が多い中、父のようにカリスマ性もない。私に務まるのか。急なことで戸惑いましたが、覚悟を決めました。

 1988年、繁雄が代表取締役会長、池﨑が代表取締役社長に就任する。35歳の若さだった。

 タフトカーペットの新たな取り組みには、未来も感じていました。ただどのようにかじ取りしていけばいいのか。まとめていく支柱が必要でした。

 まず企業理念、経営理念、行動理念の策定に取り掛かりました。ベースとなったのは、日本絨氈の実質的な創業者である父・繁雄が日頃話していた言葉です。父はカーペットを通して「住む人に喜んでもらわないといけない」とよく言っていました。その思いを引き継ぎ、企業理念「幸せを敷き詰めよう」が固まりました。

 それぞれの理念を定着させようと、毎日の朝礼で従業員と唱和しました。「そんなもの、唱和して何の得になるのや」と反発する従業員もいました。それでも続けました。今でも十分社内に浸透したとは言えませんが、唱和を続けるうちにだんだんと、自分たちの血となり肉となり、志向がぶれなくなったと感じています。

  「経営計画書」の策定にも毎年取り組むようになる。

 部署ごとの意見をまとめて具体的な数値目標や取り組むべきことを計画書に盛り込み、冊子にして全従業員に配りました。その計画を3カ月ごとに総括するかたちにして取り組みを改善しました。

 当社のような従業員百人強の規模でも、他部署が何をしているのか見えにくい面があります。全従業員が参加した計画書を毎年作成することで、他部署の従業員が何をしているのかがお互いに分かりやすくなりました。さらに当社の動きが時系列で分かるようになり、そこから今後の取り組むべき方向性も見えてくるようになったと思います。

(文中敬称略)