維街街道 私の道中記 日本絨氈社長 池﨑博之 氏(4)

2021年01月28日(Thu曜日)

まねでは情熱が持続しない

 池﨑は社長就任後、タフトカーペットへのシフトを一段と進める。

 ウィルトンカーペットは、1990年前後に生産から撤退、アキスミンスターカーペットは、中国の海馬(ハイマ)グループと業務提携して同グループに織機を移設しました。

 さらに自社ブランドメーカーから、OEMメーカーへ転身を図りました。ヒット商品となったウィルトンカーペットの「ダイヤ」や「ミリオン」などの自社ブランド商品をやめることには、社内から反発もありました。

 OEMを押し進めた理由は、製販を分離した方が競争力を高められると判断したからです。タフト機は大量生産型です。量をさばくには、力のあるタイアップ企業に販売を担ってもらい、当社は製造に経営資源を集中した方が良いと考えました。その中で、自ら付加価値のある商品をどれだけ生み出していけるかが重要になります。

   タフトカーペットメーカーでは後発だったが、積極的な設備投資を続け、存在感を高める。

 最後発に近かったからこそ、他社との差別化がより必要でした。タフト機は最新鋭を積極的に導入しました。20㌢リピートが一般的だった中、100㌢リピートのタフト機も先駆けて導入し、デザインの幅を広げました。

 89年には、タイルカーペットの製造ラインを設置しました。オフィスでは塩ビ系床材(Pタイル)が使われてきましたが、変化が起きます。OA化の進展で、ネットワーク配線などに必要な空間を設けるため床を2重化したOAフロアが広がります。そのOAフロアに、施工やメンテナンス性、デザイン性に優れたタフト製のタイルカーペットが使われるようになります。

 ただ誤算だったのは価格です。ライン設備を入れた段階で、タイルカーペットの市場価格が計画時と比べて半値になっていました。まさに捕らぬたぬきの皮算用で、しばらく収益性の確保に苦労しました。

 ポリプロピレン(PP)紡糸機も96年に導入し、世界に先駆けて「三色直接紡糸PPタイル」の一貫生産を始めました。その後、国内や中国などで類似品が数多く現われましたが、先駆者になったことが強みになってきました。まねでは情熱が続きません。

 米国のデュポン社の原着ナイロン使いのタイルカーペットも国内で最初に開発し、「原着のニッタン」と呼ばれました。人工芝では、米国のダウ・ケミカル社と技術提携してウレタンバッキング設備を導入し、国内唯一のウレタンバッキングメーカーとなっています。

   池﨑の社長就任時の年商は約48億円。現在は90億円近くまでになった。

(文中敬称略)