維街街道 私の道中記   維研社長  町田正浩 氏 (4)

2021年02月19日(Fri曜日)

生産委託先がなくなる懸念

 町田の父、武は、会社の運営を町田に委ねた後も、財務を一人で取り仕切っていた。帳簿類を町田に見せることもなかった。その父が急逝する。

 財務を引き継いでもらう時間はほとんどありませんでした。金庫のどこに何があるかも分かりません。どの書類とどの書類がどう関係しているのかを、パズルを解くように必死に調べました。そして、借入金が全く減っていないことが分かりました。利益を出し続けていたので、減っているだろうと思っていたのですが……。

  父が他界した同じ年に、本社工場の工場長もすい臓がんで急逝する。

 技術者がまだ全く育っていない中での急逝でした。営業、開発、財務、労務を兼ねる中小企業の社長特有の悲哀が続きました。

  業界を取り巻く環境が厳しさの度を増す中で、同業他社や協力工場の廃業、倒産が加速する。

 江南産地の名門といわれた会社もどんどん消えていきました。江南織物卸商協同組合は解散し、尾州絹化繊織物協同組合の会員数も300社から18社に減りました。織布工場の高齢化が進んでおり、このままでは生産委託先がなくなって、産元業を営めなくなると思いました。

 だからと言って、莫大(ばくだい)な資金を投じて海外に工場を作ることは当社にとって現実的ではありません。だとすれば選択肢は、海外生産品を扱うブローカーになるか、メード・イン・ジャパンを守るか。悩みましたが、後者を選択しました。もちろん、従来のままでは守れません。産地内の分業に頼っていた生産を、内製化によって自社で一貫してできるようにし、分散していた地場産業の技術のエキスを集め、かけがえのない企業になる。そう覚悟し、そのためにさらに投資することにしました。

 そう決めたのは、モノ作りが好きだからですが、お客さんが好きだからでもあります。私を育ててくれたお客さんがたくさんおられます。人生の一部を共有していると言ってもいいお客さんがたくさんおられます。そういう方々を裏切ることができなかったということもあります。

  内製化路線を鮮明にした町田は、廃業を決めた三愛インテリアの織布工場を2007年に取得した。

 まだM&Aという言葉が一般化していない時代でした。三愛インテリアの社長さんは、後継者がいないことに悩んでおられました。当社は、生産委託先がなくなることを心配していたので、工場を買わせていただけませんかと申し出たことから話が進んでいきました。日本でモノ作りを続けるという覚悟に共感していただいたのだと思います。破格の価格で譲っていただきました。

(文中敬称略)