明日へ これが我が社の生きる道 縫製編(2)

2021年03月12日(Fri曜日)

子供たちのためにできること   小倉メリヤス製造所

 東京都墨田区の小倉メリヤス製造所は、ベビー・子供服の生産を主力とする縫製会社だ。衣料から帽子、よだれ掛けまでフルアイテムを生産できるのが強みで、丸編みと織物も問わない。小倉大典社長(43)は「子供服を作る会社として、未来を担う子供たちに何ができるかを考えている」と話す。

 小倉社長の祖父である故・信作氏が栃木県から東京に出て1929年に創業した。ヘンリーネックで作られたラクダ色の肌着“面二シャツ”を製造し、繊維問屋街の馬喰横山までリアカーで運んだ。信作氏は大学出のインテリで、スーツとシルクハットを着用して町を歩いていたという逸話が残る。

 信作氏は、小倉社長の父・和男氏が中学生の時に亡くなる。和男氏の母(小倉社長の祖母)である故・はつさんが社長を引き継ぎ、当時の専務と会社を支える。転換点は旧レナウンのベビー服を作り始めた63年。資本関係はなかったが、専属工場として業容が拡大していく。現在の同社を形作ることになった。

 和男氏は大学を卒業して他企業に就職した後、家業に戻る。栃木県佐野市に縫製工場を作るなど会社は順調だったが、待っていたのはレナウンの仕事を取り仕切っていた専務とのあつれき。反発を覚えた和男氏はレナウンと仲たがいし、仕事がゼロに。そこに子供服製造卸のフーセンウサギが救いの手を出した。

 ベビーブームもあって子供服を縫う工場は多かったが、SKUの多さやホルムアルデヒド対策などから撤退も相次いだ。そうしたこともあり、同社は成長を遂げる。小倉社長は和男氏から「人が嫌がることを続けてきたから今の会社が存在すると聞いたことがある」と話してくれた。

 小倉社長は、大学卒業後は学校法人に勤める。医療事務専門学校のクラス担任と一般教養の授業を受け持った。2年目が終わるころに父から「会社に戻らないか」と声が掛かる。「自分が生まれた時、祖母が『跡取りができた』と喜んでいたという話を聞いていたので決断」した。

 実績を持たず、衣料品のことを知らなかった小倉社長はすぐに中国・上海に赴任。何かやり遂げてから日本で働きたいと考えていた。協力工場の一角にスペースを借りて検品を行っていたがうまくいかず、自社工場が必要と判断して縫製工場の上海笑子服飾を立ち上げる。成果を挙げて日本に戻ってきた。

 これからは国内工場を軸にした事業を進めると強調する小倉社長。子供たちのために縫製工場ができることがあるとし、本社のシェアファクトリー「nuuiee」(ヌーイ)などでのワークショップを通じてなぜ環境問題が大切なのかを伝えてきた。今後は思いを同じにする会社との仕事を増やしていく。

(毎週金曜日に掲載)

小倉メリヤス製造所

社名:株式会社小倉メリヤス製造所

本社:東京都墨田区石原3の12の9

代表者:小倉 大典

主要生産品目:ベビー・子供服、雑貨(丸編み地、織物)

従業員:東京本社10人、栃木工場25人、上海笑子服飾15人