繊維街道 私の道中記 豊和会長  田代豊雄 氏 (2)

2021年03月23日(Tue曜日)

織布から洗い加工へ

 銀行などに赴き田代織布の清算手続きを終えた田代は、残った財産や土地を元手として、1965年に豊和を設立。自身が代表となり、織布ではない新たな事業を開始する。

 縫製から始めました。なかなか厳しい時代でしたが、祖父や父にお世話になったという方々がいろいろと手伝ってくれました。地道に営業し、祖父の友人だった自動車座席製造会社の代表からシートなどの仕事を少しずつもらえるようになりました。

 岡山県立倉敷工業高校時代の同級生で、繊維関係の仕事をしていた友人も技術指導などで工場の立ち上げを助けてくれました。本当に、人のつながりで世の中は形成されていると思います。

 それでも仕事がない日々が多く、縫製だけでは厳しいと思うようになりました。当時(60年代後半)は、国産ジーンズが注目され、ナショナルブランド(NB)の企業が成長していた時代です。ビッグジョン(岡山県倉敷市)は、自前で洗い加工を行っており、すごく忙しそうでした。そこで、当社に洗い加工を外注してもらえませんかと提案しました。すると、「お願いします」ということになり、その後、ドミンゴ(倉敷市)とも取引が始まりました。

  当時既に、洗い加工業の競合は激しくなっていた。後発の豊和には何か差別化が必要だと田代は思う。そして、次々に新しい手を打ち出す。

 デニムの糊(のり)抜きや染色を他社に先駆けて始めました。70年代半ばのジーンズブームもあって、その頃から売り上げが伸びました。作れば売れる、といった時代でした。それまではワンウオッシュのみでしたが、ブリーチ加工も世に出始めたので、こちらも手掛けて拡販に努めました。

 製品染めも考案しました。生地染めが基本だった時代ですが、NBが返品や在庫の積み増しに困っていたので、「売れる分だけ後から染めればロスがないのでは」と考えたのです。75年ごろだったと記憶しています。ドミンゴが最初に取り上げてくれました。

 加工料金は当時300円程度でした。「生地染めなら1本100円なので、その値段ならいらない」と断わる企業もありました。でもカラー展開を得意とするドミンゴが、売れ筋を製品染めでフォローすると本当に良く売れました。

  豊和は、顧客のニーズに柔軟に対応して新たな加工を次々に提案した。そして、ジーンズ業界に革命を起こす加工の開発に成功する。「ストーンウオッシュ」だ。

(文中敬称略)