繊維街道 私の道中記 豊和会長  田代豊雄 氏 (4)

2021年03月25日(Thu曜日)

独自の技術認められ最盛期に

 ストーンウオッシュ加工を開発したものの、大きな取引がなかなか決まらない。そんな折、同加工から派生したスーパーブラックに目を付ける人物が現われる。

 ストーンウオッシュを依頼してくれていたある大手ナショナルブランド(NB)に、スーパーブラックのサンプルを持って行きました。偶然社長がいて「何を持っているんだ」と言うのです。説明すると、意外にも「これは面白い。やってみようか」と二つ返事で採用されました。

 そのNBとしっかりと組んで、事業を拡大していきました。スーパーブラックは特に欧州市場向けで採用が増え、ドイツ市場向けは毎月10万本ほど加工しましたね。

  上昇気流に乗った田代。会社としてもピークを迎える。

 洗い加工の最盛期は、ある大手NB専用として玉野工場(岡山県玉野市)を立ち上げた1987年ごろです。同NBの生産量は月120万本に達していて、仕事を出すから専用工場を造れないかと打診があり、玉野工場を建設したのです。ケミカルウオッシュを国内で初めて開発した時期で、その効果もあって順調に受注が増えました。結果、当時の売上高は35億円と現在の倍以上に達します。

  その後、市場環境が厳しくなっていく。

 バブル崩壊後にDCブランドが下火になった関係で、一時ジーンズが売れたのですが、中国との価格競争が激しくなっていきます。

 人件費を抑えるため、玉野工場をコンピューター制御で合理化しました。13億円投資し、洗いから乾燥までを自動化したのです。1人で18台の設備を動かせる仕組みにしました。中国に負けないコスト削減を実現し、大手NBとの取引を継続することができました。

 大手NBと一緒に米国にも進出しようとしたこともありますが、これはうまくいきませんでした。2012年に当社が米国の洗い加工場を買収し、合弁で販売会社も設立しましたが、思うようにはいかず、20年にその加工場は解散しました。

  工場の自動化に取り組んだ田代は、地球環境の維持という観点でも工場変革に挑む。

 環境対応の機運が高まった端緒は、80年代初めにドイツ南西部の「黒い森」が酸性雨で枯れ始めたことです。二酸化炭素の影響が指摘され、当社も燃料をC重油から、二酸化炭素排出が少ないガスに切り替えました。続いて98年に玉野工場、2002年に本社工場で「国際環境規格ISO14001」を取得するなど、繊維加工業界でも先行した対応を心掛けました。

(文中敬称略)