2013春季総合特集 トップインタビュー・機械メーカー編/村田機械取締役繊維機械事業部長・髙久博史氏/自動化・省エネが重点テーマ

2013年04月26日 (金曜日)

新型機種の投入を加速

――安倍政権の誕生以来、異常な円高が是正されました。

 大変ウエルカムです。今だから言えますが、昨年の今頃は円高に泣かされました。1ドル=75円をも想定して試算したぐらいでした。何しろ当社は外貨建て決済の輸出が繊維機械事業の中心です。最大市場の中国は、もともと欧州債務危機による対欧輸出の落ち込みから設備投資が鈍っていたところに、あの異常な円高です。やはり1ドル=70円台では国内の製造業は成り立ちません。「ボルテックス」は比較的健闘していたのですが、自動ワインダーが大苦戦でした。

――ボルテックスが健闘した要因は。

 従来はレーヨン紡績を中心に採用されてきたものが、最近ではポリエステル紡績などにも広がりつつあります。中国、トルコ、インドネシアなどで販路が広がったこともあるでしょう。なにより独自性のある機械ということが大きいですね。オープンエンド精紡機で生産した糸よりもボルテックス糸の方が高値で販売できるため、市場の評価が高まってきました。昨年から新型機としてボルテックスⅢ870を投入していますが、受注は完全に従来機からシフトしています。生産性とメンテナンス性、省エネルギー性能が高まったことで評価していただきました。

――自動ワインダーも新型の「QPRO」を投入しています。

 こちらも生産性や省エネルギー性能の評価は高いのですが、問題はコスト。従来機である「No.21C」と比較して10%程度価格が上がったのですが、そこに円高が加わり、競合する欧州メーカーとの競争で不利となりました。とくに中国は価格競争の面から、引き続き販売の中心はNo.21Cとなりました。ただ、インドやパキスタンでは当社の旧式機を使っている企業が更新時期に差し掛かっていることから、その需要を確保することはできました。やはり中国、インド、パキスタンの3カ国が最も重要な市場であることに変わりはありません。

――今期の課題と戦略をお聞かせください。

 現状の為替水準が続けば、利益はきちんと確保できます。この機会に自動ワインダーはQPROへの受注シフトを進めます。生産性、メンテナンス性、省エネルギーを打ち出して、一気に攻勢をかけたい。中国、インド、パキスタンだけでなく、東南アジア諸国でも販売を伸ばしていく必要があります。一方、ボルテックスⅢ870は、紡績する糸種の範囲をどれだけ広げられるかが重要です。ボルテックスの市場は全紡績のわずか1%程度に過ぎず、綿やポリエステル・綿混の紡績にまで広がれば、極めて大きな市場となります。すでにポリエステル100%紡績に関してはめどがつきつつあります。ボルテックスで紡績したポリエステル糸がスポーツウエアで採用されるなど成果も出てきました。昨年まで冷え込んでいた中国やインドの繊維市況が盛り返していることも追い風でしょう。とくにインドは、中国に対する綿糸輸出が好調ですし、設備投資に対する政府補助金も始まる予定ですから、その効果も期待できます。

――円安になると海外の取引先からの値下げ要求もあるのでは。

 営業現場には「価格を維持するように」と指示しています。そもそも当社が外貨建て決済しているのは、お客様に為替要因で迷惑をかけないようにとの考えからです。しかし円高になれば、競合する欧州勢に有利に働き、市場シェアを落とすことになります。それでも価格を維持した昨年は大変苦労しました。ようやく円高が是正され、通常の状態に戻りつつあります。

――今後の開発のテーマは。

 やはり自動化と省エネルギーが引き続き大きなテーマ。新興国でも労働力不足に加え、人件費の上昇やエネルギーコスト増加が続いていますから。半自動ボビン供給装置「VCF(バーティカル・コンベヤー・フィーデイング)」の販売にも力を入れます。中国では手作業でワインダーにボビン供給する紡績も多い。精紡機直結糸管運搬タイプ「リンクコーナー」までは必要ないというお客さまにVCFをご提案します。そこから将来的にリンクコーナーの需要につなげていきたいですね。

 「昨年の今頃は泣いていた。1ドル=75円も想定していた」――村田機械の髙久博史取締役繊維機械事業部長は振り返る。ここにきて異常な円高が是正されたことで、ようやく繊維機械の輸出環境が正常化した。「今期は新型機である渦流精紡機『ボルテックスⅢ870』や自動ワインダー『プロセスコーナーⅡQPRO』の投入を本格化させる」と意気込む。引き続き世界のニーズは自動化と省エネルギー。村田機械にとって開発の永遠のテーマだ。

(たかく・ひろし)

 1981年村田機械入社。2004年繊維機械事業部輸出部長兼村田機械上海(MOC)総経理、06年繊維機械事業部副事業部長兼営業部長、07年大阪支社長兼務、10年から取締役繊維機械事業部長兼大阪支社長。

私の課長時代/ホテルの部屋がオフィス

 「印象に残っているのは1993年から中国販売担当の課長時代。出張で年間260日は中国に滞在しました」という髙久さん。定宿だった紹興のホテルの自室に「村田機械」の看板を掲げ、オフィスにしてしまったほど。その甲斐あって「長繊維用撚糸機と仮撚り機、ドビーがよく売れました」。そして「80年代まで北京でも荷馬車が走っていたのが90年代に入って自動車が増える。なにより、まだ中国でも青空が見えた」ことも思い出す。