2019年春季総合特集Ⅰ(12)/トップインタビュー ユニチカトレーディング/ニッチ・グローバルを目指して/社長 細田 雅弘 氏/「エコフレンドリー」前面に

2019年04月22日 (月曜日)

 2017年度からの中期3カ年計画を進めるユニチカグループ。ユニチカトレーディングは2年目となる18年度で数年続いた衣料繊維事業の売り上げ減に歯止めをかけられる見通しで、最終19年度からは上昇基調に転換できるとの手応えを示している。4月1日付の社長就任により最終年度を託された細田雅弘社長。強みを発揮できる商材、エコ素材を軸にグローバルに売り込んでいきたいとの意欲を示す。

  ――平成の30年間をどう見ていますか。

 日本経済にとっては良くない時代だったと感じています。GDPで世界シェアの15%を占めていたのが6%に落ち、1人当たりのGDPでもG7のトップから6位に陥落するなど日本の立ち位置は大きく後退してしまいました。

 繊維産業も同様の流れをたどってきました。平成の初めの頃の新合繊ブームの時は、当社も「シルミー5」を大ヒットさせるなど大いにもてはやされたものです。しかし、生産地が中国やASEANに移り、日本の繊維は縮小に転じました。

  ――まもなく元号が変わります。

 特殊な商材でいかに世界と戦っていくかに尽きるのではないでしょうか。以前から言ってきたニッチ、グローバルが新しい時代に生き残っていくためのキーワードになると思います。「山椒は小粒でもピリリと辛い」、を追求していきます。

 当社の場合、平成の30年間は構造改革の繰り返しでした。売り上げは縮小しましたが、利益率はかなり改善されてきました。当社が目指す方向性は今後も同様です。

 それと、世の中が変化するスピードがものすごく早くなっています。環境の変化に強い柔軟な組織にしていきたいと考えています。横串的な機能を取り入れたアメーバのような組織体が必要なのではないでしょうか。

  ――18年度はどう着地できそうですか。

 衣料繊維では、ユニフォームが好調でしたが、スポーツが苦戦しました。婦人ファッションは悪いなりに頑張った方でしょうか。産業資材はおおむね予定通り、グローバル事業は目標に届きませんでした。

  ――中期計画の最終年度を迎えています。

 中期計画の目標達成はもちろんですが、20年度からの計画を策定するタイミングでもあります。この枠組みを作り、それに沿った種まきを始めなければなりません。

 環境の変化がどんどん早くなってきていますから、例えば海洋プラスチック問題一つをとっても、迅速に対応していかなければなりません。この問題に関して当社は多くの引き出しを持っています。中身を早く引っ張り出して、数字に結び付けていきます。

  ――繊維事業ではどう取り組んでいきますか。

 この2年間、衣料繊維事業でさまざまな対策に取り組んできました。その一つが海外オペレーションです。ベトナム、インドネシアに生産・販売拠点を構築し、両国での取り組みを充実させました。

 製品事業の拡大も進めてきました。19年度で売り上げに占める製品比率を20%に引き上げ、20年度からの中計で25%を目指します。

 海外生産、製品事業を組み合わせて昨年、苦戦を強いられたスポーツを回復させるのも19年度の課題の一つです。

 耐久撥水(はっすい)「タクティーム」などへもリサイクル糸のバリエーションを広げ、製品OEMでの提案を含めて国内外のスポーツブランドへのアプローチを改めて強化していきます。

 この間、衣料繊維事業は右肩下がりを続けてきましたが、18年度でどうやら歯止めがかかりそうです。19年度以降、一気に反転、とまではいきませんが、プラスへと転換させます。

  ――サステイナビリティー(持続可能性)が注目されています。

 バイオマス素材「テラマック」をどう世の中のニーズに合わせて拡大させられるか。先にユニチカがストロー向けの樹脂グレードを開発しました。当社が販売を担当します。既に最終の評価段階を迎えており、遅くとも下半期には販売を立ち上げます。

 紙コップの内側にコーティングする樹脂を開発してほしいという声も寄せられています。テラマックでは、繊維にこだわることなく、あらゆる用途へのアプローチを強化していきたい。

 当社にはマテリアル、ケミカルという2タイプのリサイクルポリエステル「エコフレンドリー」があります。先日、ある婦人アパレルのお客さんと話をする機会がありました。婦人ファッションでも最近はリサイクルがクローズアップされているそうです。

 ケミカルを中心に独自性を発揮させ、マーケットに挑んでいきたいと考えています。婦人ファッションに関しては20春夏の店頭を目指し、お客さんとの共同開発を進めていきます。

〈平成の思い出/2度の大震災に衝撃》

 思い出深い、というか衝撃だったのが阪神・淡路、東日本の2度の大震災と言う。阪神・淡路のときは実家の様子を見に行った帰りの電車で、一言も話さず静まり返っている乗客の沈痛な表情に「泣きそうな思いになった」。一方、東日本はタッチの差で免れた。このときは「仕事で3月10日に仙台に来ていた」。泊っていけばという誘いを断り、夕方まで同僚と仙台空港で飲んでから大阪に帰り、翌日のニュースでびっくり。津波に直撃された仙台空港のビル屋上で救助を待つ人々の姿をテレビで見て、「あの時は強烈だった」と複雑な表情で振り返る。

〔略歴〕

ほそだ・まさひろ 1982年4月ユニチカ入社。2007年7月技術開発本部技術開発企画室長、12年7月執行役員、14年6月執行役員樹脂事業本部長、15年4月執行役員樹脂事業部長、16年4月上席執行役員樹脂事業部長、19年4月常務執行役員繊維事業本部長兼特需部担当兼ユニチカトレーディング代表取締役社長。