回顧1999商社編/リストラに明けリストラに暮れる

1999年12月22日 (水曜日)

 「リストラに始まりリストラに終わる」--商社を巡る九九年の動きは、このように表現できるかもしれない。産業界は全般にリストラの波に洗われた一年だったが、商社もまた二十一世紀を踏まえて「商社機能とは何か」を真剣に問い掛け、問い直した一年だった。この十年間、商社は「グローバリゼーション」「流通変革」「技術革新」の真っ只中にあって、変革を模索してきた。また、生き残る術として変化せざるを得なかった。そして今、その道筋を見いだそうとしている。生産・流通両面で、国内外をネットワーク化した新たな機能構築に向け乗り出した。

 九九年を振り返ると、機構改革が目白押しだった。伊藤忠商事は四月一日付で、それまでの営業三部門・十六部の繊維カンパニー組織を七事業部に再編するなど、大規模な機構改革を実施した。

 この機構改革は九九年度から始まった全社二カ年経営計画「G-2000」に繊維カンパニーとしても対応し、(1)重点分野へ経営資源集中投下を可能にする(2)グローバルな事業展開を推進する(3)経営のスピードアップと効率化、責任の明確化(4)連結経営と将来の持株会社移行--を主眼にしたものだ。

 また、繊維カンパニーの意思決定、監督機能を担うボード機関として「プレジデント・オフィス」を新設。プレジデント、エクゼクティブ・バイス・プレジデントのほかグループ経営、事業部、次世代事業、市場、産地など各担当の「ボードメンバーズ」で構成した。

 営業組織は、三部門・十六部体制から繊維原料、繊維資材・リビング、テキスタイル、アパレル、機能衣料、輸入繊維、ファッションの七事業部制に変え、意思決定の迅速化、経営者と主管者との情報の共有化を図ると同時に、各事業部の責任領域を明確にし連結経営を徹底、収益の極大化を実現できる大ぐくり組織にした。

 一方、丸紅は繊維部門の主要国内事業会社の再編を通じて、グループ連結経営の意図を明確にした。四月一日付での再編と同時に、繊維部門本体の総合職人員を他部門への移籍、事業会社への転籍などを通じて約二割削減し、効率経営の徹底化を進めた。

 まず事業会社の統合では、アパレル本部傘下の丸紅アパレルと丸紅テックスプラニングを合併し、「丸紅ファッションリンク」(従業員八十八人)にを設立。両社の商権を引き継ぎながら商権の入れ替えを通じてアパレル企業が志向するSCM(サプライチェーン・マネジメント)確立の核になり得る専門商社の道を目指している。

 また、繊維素材本部傘下の丸紅繊維資材と丸紅繊維洋品が合併し、「丸紅インテックス」(資本金二億二千万円、従業員百三十六人)が誕生し、この統合で一連のリストラにめどをつけた。

 このほか、丸紅ファッションプラニングの本社を同日付で東京に移転する一方、スタッフをアウトソーシングして大幅に入れ替え、「企画」を主とした本体営業部門のブレーンとしての機能強化を進めた。

 また、トーメンは四月一日付で繊維原料テキスタイル本部と繊維資材本部を統合し「繊維素材本部」に改称、この結果、衣料本部と合わせ繊維事業部門はそれまでの三本部から二本部体制となった。

 統合した繊維素材本部は七部・十七課から五部・十五課編成に集約、北陸産地では福井支店を廃止して金沢支店に一本化、さらに綿糸の織糸、ニット糸オペレーションを統合集約するなど素材関連ビジネスの再構築を実施した。この統合は大ぐくりによって情報・戦略の共有化と人員・資金の効率化を狙ったものだ。

 さらに、ニチメンは十月一日付で、非衣料関連事業会社三社を合併し、新たに「ニチメンパルテックス」を設立。新会社は生活空間関連商品を原料から製品まで扱う「情報集約型の価値創造商社」と位置付け、将来的には株式上場できるよう収益基盤を確立する。

 ニチメンパルテックスは、綿糸布販売のニチメン繊維工業、寝装品・家具販売のニチメンリビング、不織布ほか産業資材販売のニチメン繊維資材の三社がニチメン繊維工業を存続会社に対等合併して設立した。

 事業内容は(1)寝装関連商品を原料から製品まで(2)インテリア関連(3)衛材用・産業資材用不織布(4)差別化ニット原料・生地--など産業資材から寝装・インテリア・生活資材の各領域をカバーする。

 一方、一気に分社化を進めたのが兼松。十月一日付で「兼松繊維」が発足、主力商権として化合繊原料・テキスタイル輸出、素材提案・加工場の組み立て提案を切り口に、従業員百七十人で本格的なスタートを切った。

 新会社は東京第一、同第二、大阪第一、同第二と岡山の五事業部で編成、素材・二次製品一貫体制を敷いたのが特徴。限られた資本・人員を逆手に取り、専門性をアピールすることで商社機能の発揮を目指す。伝統の貿易部門とアパレル素材提案・製品組み立てを両軸に、収益力の強化を図る。

 貿易では化合繊原料・テキスタイル輸出に加え、海外主要合弁企業産のテキスタイルと海外縫製をドッキングした展開を主体とする。また、国内では素材提案を重視し、商品ゾーン別に内外の加工場と組み合わせ、SPA(製造小売り)型を含めてアパレルに提案する。

 日商岩井は今期からスタートした全社三カ年経営計画「中期経営計画-2002」で、繊維本部の分社化を一段と促進、日商岩井アパレルなど関係会社との連結経営を重視する。また、海外ネットワークを見直し、香港に本社を置くファッションフォース香港(略称FF香港)への移管を含む再編を進める。

 関係会社の整備では、二〇〇〇年四月をめどに日商岩井アパレルと日商岩井繊維原料を合併し新会社(社名未定)を設立、新会社へ現在本部が抱えている商権の一部を移管すると同時に、流通ダイレクトなど川下に近い商権を日商岩井繊維に移管し、本部(年商千八百億円)と合併新会社(同四百五十億円)、日商岩井繊維(同二百七十億円)の三本立てによるグループ経営を目指す。

 さらに海外ネットワークでは、二〇〇〇年一月一日付で、ベトナム・ホーチミン駐在員事務所の繊維人員をFF香港の同事務所に移管し一本化する。また、同時に伊ミラノ会社の繊維部門を分社し、FF香港の傘下に置く。

 また、将来構想として東南アジアの繊維主要拠点を同様にFF香港の管轄下に置き、国内の合併新会社とFF香港をアパレルモノ作りの両軸とする考えだ。

 こうした事業再構築に向けた機構改革の一方で、商流の変化に合わせて「攻めの姿勢」を打ち出したことも特筆できる。特にアパレル対応では、SPAを中心とする「商社への生産移管=丸投げ」が強まるとともに、生産支援での協力関係構築に乗り出している。

 俗に『ユニクロ現象』とされる低価格・高品質時代を迎えた今、商社が培った海外ネットワークを活用した生産フォロー体制が注目を浴びる。

 例えばユニクロの基本的な強みを考えてみよう。日本で言われるところの「早く持ってこい」式QR=クイック・デリバリーではなく、米国本場でのQRの実践を着実にしているところにユニクロの強みがある。つまり「適切な商品」を「適切な価格」で「適切な場所へ」「適量」を「適時にデリバリーする」ことの徹底的追求と実行だ。

 例えば、第一に商品ではファッション性の高くない、世間の八〇%の人が買ってくれるものを高品質で、追加生産、クイック生産考えて素材選定を行う。

 第二には「適時」。タイミングのよい生地発注、および生産期間短縮のためのあらゆる努力を実行する。向こう六カ月先の生産キャパシティを予約し、そのうち三カ月直近のものを契約する。第三には「物流・配送の整備」だ。

 そして第四は問題の「価格」である。単品大量の発注、工場集約によるスケールメリットの追求--などが挙げられる。各指定工場にとって「何が何でもユニクロ大事」「最優先」とさせる注文量と徹底的品質管理が工場を引き寄せている。

 いま挙げた「素材選択」「適地生産」「物流」「適価」の四条件を生産・物流面でクリアできないと商社のアパレル対応機能は十分とは言えない。極言すれば、このユニクロ方式に対応できるかどうかが、商社のアパレル対応能力を見極める一つの指標になる。

 今年のアパレル・流通業界の特徴を見ると、「勝ち組」「負け組」の明暗が一段と鮮明になったことだ。百貨店・GMSが苦戦し、それに対応するアパレルがともに苦戦する中で、(1)ユニクロ、しまむらといった新業態(2)GAPに代表される外資系(3)ファイブフォックス、フランドルなどのSPA(4)ユナイテッドアローズなどのセレクト編集型SPA--が気を吐いた。これら企業への対応いかんが商社の収益に影響したことは否定できない。

 商社はこれらアパレル・流通企業とをつなぐ手段として「SCMの構築」を課題にあげて取り組み、各社とも具体企業をあげて実験的にシステム構築に乗り出したのも今年の特徴だ。この成果が来年以降に表面化することになろう。