時評/レーヨンの栄枯盛衰
2000年12月25日 (月曜日)
二十世紀最後の年となる二〇〇〇年、日本の化合繊メーカー四社がレーヨン事業撤収を決めた。十九世紀末に英国で開発されたビスコース法レーヨンは、天然繊維に代わる化学繊維のパイオニアとして需要を拡大していく。日本では一九六〇年に長繊維が約十一万五千トン、七三年に短繊維が約三十八万トンとそれぞれ生産のピークだった。年産三十八万トンという規模は今年のポリエステル長繊維生産量(推定)にほぼ匹敵する。
しかしポリエステルをはじめ、合繊の生産が本格化するにしたがい、メーカー数と生産量は漸減していった。長繊維の場合、六三年東レ、七一年帝人・東洋紡、九四年ユニチカなどが撤退。そして今年、クラレと旭化成工業が来年に生産を停止することを決めた。
短繊維では、七五年東レ、七六年クラレ、七八年三菱レイヨン、八六年日東紡、九四年日清紡、九九年興人などと撤退が続き、今年は東洋紡と東邦レーヨン徳島が来年の生産停止を決めた。
これで、レーヨン長繊維メーカーは日本から姿を消し、短繊維メーカーはダイワボウレーヨン、フジボウ愛媛、オーミケンシの三社が残るだけとなる。当然長繊維の生産量はゼロ、短繊維は二社が生産中止した段階で年産五万トン程度になる見通しだ。
パルプを原料に、長繊維は絹の、短繊維は綿の代替として需要を伸ばしたレーヨンだが、後から開発されたポリエステルなどとの〝世代交代〟の波に抗し切れなくなったということだろう。残っている短繊維でさえ、かつての主力用途だった紡績用は他素材にシェアを奪われ、「レーヨンならでは」の存在感を発揮できるのはベビーウエット用などの乾式不織布など数少ないのが実情だ。
このレーヨンの栄枯盛衰の歴史が教えていることは何か――。ある事業の収益力が衰えていくと、設備更新や研究開発の投資対象から外れ、他の収益事業に移っていくという企業経営のシビアな論理だ。その行き着く先は撤収しかない。
レーヨンをほぼ〝駆逐〟したかのように見えるポリエステルだが、日本メーカーの収益力は、他の特殊繊維や非繊維事業に比べてぜい弱である。市場での素材間競合に勝っても、企業内の事業収益性競争には負けているのが現実。レーヨンの栄枯盛衰は、ポリエステルにとって、決して他人事ではない。 (高)